多頭飼育崩壊に歯止めを!行政施設内に「不妊手術専門病院」の開設へ

新潟と聞く時、はじめに僕の心に浮かぶのは美味しいお酒、そして新潟動物ネットワーク(NDN)と代表・岡田朋子さんの存在です。映画上映を通して10年余り前、NDNに出会って以来、岡田さんをはじめメンバー皆さんの公正・公平で誠実な姿勢は一貫していました。

いまではアニマルウェルフェアまで視野と活動範囲を拡げ、環境危機の時代に生きる私たちがどんな未来を選べばよいのかを指し示してくれるNDNは、新潟だけでなく日本になくてはならない存在です。

そのNDNが新潟県動物愛護協会、新潟市動物愛護センターとともに進めるクラウド・ファンディングが今日からスタートしました。

多頭飼育崩壊に歯止めを!行政施設内に「不妊手術専門病院」の開設へ

readyfor.jp


多頭飼育崩壊の背景にある飼主の困窮や孤立は大きな社会課題であり、民と官の連携なくして太刀打ちできません。
猫もひともしあわせになれる”新潟モデル”が時代のさきがけとなり、全国に普及していくことを心から願います。

 

 

Kさん、つどい、映画のこと

知人のイラストレーター・Kさんが他界した。知人と言っては他人行儀にすぎるのだけど、友人というには親より年上で、同志とか先輩というのともちがっていていきおいそんな他人行儀な呼び方しか見つけられずにいる。いっそいつものようにお名前で呼んでみたらいいのだけれど。
Kさん。「資料がたまったから送るね~」と、Kさんはご自身が読み終えたものの中から創作のヒントになるようなもの、それは新聞記事や雑誌、本だったりなのだが、段ボールひと箱にびっしり詰め込んで多い時には月に2度3度と送ってくれるのだった。

僕がお手伝いしていた動物愛護団体が子猫の里親を探していた時、引き取り手になってくれたことがきっかけとなって今日までおつきあいがつづいていた。いつも元気いっぱいで、何かと気にかけてくれる。「あなた、ひどいのよ~」という言葉ではじまる電話の声は、世の中に起こるありとあらゆるひどいこと、たとえば駅前の大きな木が道路拡張のために切られることや森が削られていく話、街に出てきてしまったクマたちの苦境、日本政治の反動化にいたるまで尽きることがなかった。イラストレーターとして若い頃からご活躍されていながら(カエルのケロちゃん、コロちゃんもその方の手になる作品だ)同時にアクティビストとしても動きつづけてこられ、文字通り休む間もなく野良猫の保護や環境問題全般へのアクションに取り組まれていた。70歳を優に超えていたようだけど、老け込むことはまるでなく、ご自身の個展や作品発表の場でも署名集めをしては、来客した方へ熱心に説明(というか説得)をされていた。真っすぐなのだ。

7年前に、今はもう無くなってしまった渋谷の映画館アップリンクで「風は生きよという」の上映があった折、海老原宏美さんとのトークがあった回を観に来てくださり、その帰り道3人で薩摩料理のお店へ入ってお昼をご一緒したことがあった。話したことはすっかり忘れてしまったけれど「すてきね~」と海老原さんを褒めちぎっていたことだけが頭に残っていて、ひどいと思うこととすてきと思うことの線がわかりやすくて、いつも微笑ましくなるのだった。

共通の知人からその報せを受けたのは、先月だった。Kさんはおひとりで暮らしていたこともあってか、遠方に暮らす弟さんがお分かりになる限りで訃報を出されたらしく、僕は漏れていて、知人を介して事を知ったのは亡くなって2か月以上もすぎた先々週だった。暑い9月のこと、親しいご友人が見つけてくれたそうで亡くなる2、3日前にも一緒だったというその方によると、どこも変わったところもなく元気だったという。Kさんにも突然だったのだろうか。家に残された猫4匹は仲間内で引き取られたとも聞き、心配のひとつがちいさな安堵へとかわった。
先週、金聖雄監督の映画「アリランラプソディ」の試写会を渋谷で拝見した帰り道、スクリーンに映されたハルモニたちの生きてきた道行きを思い、ぐるぐる思いを巡らせ歩いているとあの薩摩料理の店、この辺りにあったっけと思いあたった。それらしいビルに店を探したけれど、もうどこにも見当たらなかった。
アリランラプソディ」は来週土曜日の16日から川崎市アートセンターで先行上映が始まり、2月から新宿ケイズシネマで公開される。おなじく16日、僕は「海老原宏美基金のつどい」のスタッフとして、立川女性センター・アイムホールにいる。
金さんの映画の中にも、きっともう会うことの叶わなくなった方がいるのだろうし、海老原さんもKさんも、もう体温のあるかたちで会うことはかなわない。若い頃は死ねばただ終わりなのだと思っていたけれど、そうでないかもしれないとも思うようになっている。どう「そうでない」のかは今もわからないけれど、わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です、という宮澤賢治の掴み方がうなずかれるようになっている。
12月24日、海老原さんは3回忌を迎える。けれど「終わり」どころかこうして海老原さんに動かされつづける自分がいて、渋谷のビルの5階あたりで薩摩料理をほおばりながら海老原さんとKさんと笑いあった日、窓の下に道行く人を眺めた記憶がふわりと浮かんでくる。

16日のつどいの案内をと思って書きはじめたけれど、本題に入るまでの話が長くなってしまう。そういえば、そういえば、という話が増えていく。ここに生きているから。
つどいの第1部、市川沙央さんと荒井裕樹さんのご対談は撮影に行き、テロップをつけるための編集もしたので通しで4回も観ているけれど、いつも同じところでグッときてしまう話がある。予告編にもすこしだけ紹介している、市川さんが障害のあるお姉さまの話をされるところですが、詳細はぜひ会場で(もしくはアーカイブで)ご覧ください。そして会場で行う第2部には、参議院議員の木村英子さんをお招きしています。本基金共同代表である岡部宏生さん、それに運営委員も加わったトークで、聴きどころ満載の1日です。
ご登壇される方に会いに、そして海老原さんに会いにいらしてください。
ご来場をお待ちしています。
そしておなじく16日に始まる映画「アリランラプソディ」に、ハルモニたちの人生に出会ってほしいと、心から願います。

 

             


※ 「つどい」申込先 

https://ebi-kotobanotikara.peatix.com


※ 予告編 

www.youtube.com


※ 映画「アリランラプソディ」HP 

arirangrhapsody.com

海老原宏美基金第1回記念講演会のお知らせ

昨年春、たくさんのひとと思いを重ねてはじめた「海老原宏美基金」。
その第1回記念講演会を、海老原さんの3回忌がせまる12月16日(土)立川市で開くことになりました。
メインの催しは、第169回芥川賞を受賞された市川沙央さんと文学者・荒井裕樹さんの対談上映です(当日会場にお越しいただくスケジュールが合わず、事前録画となりました)。
そのおふたりの対談を、先日市川さんのお宅で撮影させてもらいました。

「読書バリアフリー」の必要性について市川さんが様々な場で発信され、社会の関心はぐんと高まりましたが市川さんが初めてその言葉を知ったのはNHKハートネットでの海老原さんの発言だったそう(海老原さん、やっぱりすごかったね。と胸の内でつぶやく)。
もともと新自由主義的な考え方があったという市川さん。「尊厳死」をめぐる言説のたいていが学歴や能力の高い人から発せられるのを聞いたり読んだりしていて、ご自身のお姉さんのことを思う時、「姉のような人はまずはじめに死の対象にさせられる、侮辱されている」と感じ怒りを覚えるようになったと話されていました。
 「ものを言えない人の言葉を伝えたい」。そう思うようになったこころの歩み、「障害者をめぐることばが少ないこと」への荒井さんの洞察に富んだお話、濃密な語りあいはひろがり1時間半に及びました。ぜひ、ご覧いただきたい対談です。
(姿を変えてなお人を動かす海老原さん。さすが。)


日にち:2023年12月16日(土)
時 間:13:00~16:30(12:30開場)
場 所:立川市女性総合センター・アイムホール(定員あり)
内 容:
スペシャル対談
 市川沙央さん(小説家、第169回芥川賞『ハンチバック』)
 荒井裕樹さん(文学者、『凛として灯る』『まとまらない言葉を生きる』など多数)
 ※ こちらの対談は事前録画し、当日は録画上映です。
■このほか、第1回助成先団体の活動報告や、会場トーク、「海老原宏美と言葉展」も予定しています。

当日の配信はありません。スペシャル対談のみ後日アーカイブ配信をご用意いたします。情報保障を行う予定です。
会場参加およびアーカイブ配信視聴はお申込制です。本告知をおまちください。

海老原宏美基金HP:https://www.ebifund.org/
 

 

風よ君の声がする―海老原宏美を想うみんなの集い―(4/22開催)

4月のはじめは海老原さんの誕生日があり僕の誕生日もちかく、一緒にお寿司を取っては乾杯しお祝いしたものでした。実行委員会の皆さんと海老原さんを送る会の準備をしている今も、何をしているのだろう?とふしぎな気持ちになります。開催準備が進みそのかたちが見えてくるにつれて、さびしさ新たにしています。

「風よ君の声がする―海老原宏美を想うみんなの集い―」

日時:4月22日(金)13:00~20:45(12:30開場)

場所:東京都東大和市・ハミングホール

詳細のご確認とお申込みは下記URLからお願いします。
(一部プログラムに変更がございます)。

https://kazeyo0422ebi.peatix.com/

 

当日は感染症対策もしっかり行い、みなさまをお迎えします。
海老原さんの44年の歩みと人生に賭けた想いをみなで分かち合い、海老原さんとの思い出を胸に、新たなスタートラインに立てる日になることを願っています。
みなさまのご参加をお待ちしています。

その人をおもう

年の暮れにその人は突然眠ってしまった。ちっとも起きてこなくなってからこっち、ずっと真っ白だった。長くて悪い夢は、何度眠りまた起きてもつづいた。つめたくなった頬にも手にも触れて、花でいっぱいになった棺もみてお骨を拾ってもなお、夢をみているよう。このまま深く眠ったら、その人のいた世界に戻れるだろうか。年の明けた気がまるでしないまま、おーいどこいったー、はやくかえってこーいと繰り返していた。その人がもういないということが不思議でおかしくて、誰に向けるいわれもない理不尽さに腹を立てたりいまここにいるはずの自分が不思議でならなくなったり。仕事も手につかない無為の日をおくっていた(関係者の皆さん、ごめんなさい)。


ずっといっしょにいて僕にはお守りのような人だった。どうしたらまた会えるものかと思いめぐらしていた時、恐山のイタコを思いつく。けど、調べてみるとイタコは冬は休みで夏と秋のひとときだけおられるとか。そんな先まで待っていられるはずもなく思いあぐねているとその人の血縁に修験道を勤めた高僧がおられたことを思い出し「そうだ、巡礼がよい」と思いが決まった。東北三十六不動尊を歩きめぐり、その人がどこへいってしまったのか、いま自分はどこにいるのか、それぞれの位置をたしかめるための旅を岩手からはじめることにした。


盛岡をはじまりに歩きだすと、内陸はまだまだ道に雪が積もっている。霊場をめぐる旅にとくに決めごとはせず、目についた神社仏閣にも手を合わせただ歩いていく。


「はやく戻ってきてください。そっちで人手が足りない時はいつでも呼んでください」。


願いはたいていこのふたつ。歩き慣れず2日目には足が痛みはじめ、引きずるようになり、歩度は遅くなるばかり。それでもかまわず、見渡すかぎりの雪原になった田んぼの一本道をひた歩いていく。花巻の大興寺という寺の本堂に立った時のこと、柱に漢詩とおぼしき文字が連なっていた。好い加減なところへレ点をつけて読もうとするも、ちっともわからない。禅寺なので公案かしらと宿でネット検索をしてみると良寛の詩「出山釈迦」だった。人が迷い、執着を起こすことのなんと多いことかという意で、釈迦ですらもということが含まれていた(『訳註 良寛詩集』ワイド版岩波文庫)。尋ねたいことがあって歩いてきた寺の門をくぐって、こっちもわからないんだと拍子抜けする答えが返ってきた気がして、そうかあなたもだったかと清々しく笑ってしまう。


この季節、歩道が雪に埋まっていたり片側一車線の道にそもそも歩道がなかったり、徒歩ではとてもわたりきれない峠道もたくさんある。そんな道が何キロもつづいているところでは電車で移動する。夜の1両電車の曇った窓を手で拭いて、真っ暗な窓外を眺めるとここを歩いて行き来した昔の人のたくましさに畏怖をおぼえる。遠野の路傍では積もった雪からちいさな石碑や石仏がさりげなく顔を出していた。その下には江戸の死者が眠っているようで、並んでなければ自然石と見過ごしてしまう。夏は草に隠されてしまうのだろうか。やがて歳月の風雪にあらわれて彫られた名や年号ものっぺらぼうになり、だれも気づくことのない自然石に帰っていくありようは死者も生者もなく、ひとつの「いのち」が時に溶けだしているようで、安堵する。


人がつつましく、そうあるよりほかなかった昔を思いやりつつ海沿いへ足を進めると、どことなく春が目覚めたと感じる陽気だった。でも。海の見えるところまで来たとたん、地平に定規をあてたような白っぽい壁が横一線に空を限り、海を隠してしまっていた。震災後につくられた巨大防潮堤が居丈高にそそり立ち、冷たく固いコンクリートが人間を圧倒している。時へとにじみだしていた遠野の石のように、このコンクリートが人間に親しい点景となる日はくるのか。


釜石のお寺では丘のふもとからてっぺんまで墓石が並んでいた。3.11で亡くなられた檀信徒の名が二枚のおおきな石に刻まれている。並んだ名前が多すぎて息をのむ。この寺までも水は来たようだ。急な階段をのぼり丘の上まであがると陽光をはね返す海と、造船所が目に入る。墓石の戒名を読んでいく。敗戦のあとの数年とそれより以前、早世した子どもの多いこと。当才、二才、三才という享年が印され童子童女という位号も目につく。こんなにもあっさりと、人はこの世から奪われていくものだったか。


死者はどこへ行ったのか、生者はどこにいるのか。そもそも生も死も、あるのかどうかすらわからない。みんな死ぬという平凡な事実ももっとも身近な人のそれとなるとまるでおなじことと思えない。切実すぎて、われながら怪しむ。神社といい寺といい畢竟死者をめぐって歩いている。生者との一期一会の目礼すらも心にとまる。


もうこの先どんなことがあってもその人とは会えないのだと思って途方に暮れたり、いやいやここにいるじゃないかと思って安心したり。そんなことを繰り返す。それでも、こうして文字を連ねるほどには、日を送ってきたのだろう。三十六寺のうち回れたのは三か所。世間へ仕事へと戻りながら、わからないことを探しもとめたい。


やっぱりもういちど会いたいし、声が聴きたい。もうすぐ四十九日がくる。おーい、はやく、かえってこーい。

 

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この秋冬に

ことしの秋から冬にかけて、声をかけて頂き製作した短編の映像作品をご紹介します。

 

① 「眼にて云う」(口文字 日本語版)

日本ALS協会さんのご依頼をうけて「口文字」を紹介する映像をつくりました。観るだけでは「口文字」の仕組みを理解するのは難しいかもしれず、習うより馴れろの典型かとも思うのですが、「へ~こういうコミュニケーションもあるのか」と知っていただけたら嬉しいです。目と目をしっかり合わせなければ始まらないコミュニケーション方法「口文字」。はたで観ていると、ひとの体温が重なり合っているなと感じてドキドキします。

9分15秒の映像です。

 

www.youtube.com

 

② 「【障害者週間記念特別映像】福祉作業所ってどんなところ?」

東京都社会福祉協議会・知的発達障害部会さんからのご依頼をうけて製作しました。「知的障害がある」と言われる方々の人間の大きさ、魅力に惹きつけられます。「障害者」ってくくりも枠組みも言葉も、ぜんぜんピンとこないんだよなあとつねづね感じてます。何かいい言葉はないものでしょうか?チャーミングなひとと出会える喜びを感じてもらえたら幸いです。

10分57秒の映像です。

 

www.youtube.com

 

「熊と人 四国の森に生きる」配信しています

先日ご案内しました、「熊と人 四国の森に生きる」の上映とシンポジウムの様子がYoutubeで配信されています。

当日お見逃しになった方もどうぞこちらからご覧ください。

 

www.youtube.com

 

シンポジウムの中では、森づくりには50年100年かかるというお話が出ました。ひとの仕事も映像も、眼差しを遠くに向け根気よく育てあげることが大切と感じます。この映像をはじまりに、四国の熊と人のいとなみをこれからも撮影していきたいと思います。

 

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