五井さん作品展に

来月3日から東京世田谷の「梅猫庵」で「わすれないでね… 五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち」が開かれます。
アニマルクラブのボランティアだった五井美沙さんは、東日本大震災で亡くなりました。29歳でした。震災後に初めて石巻を訪れた僕は、美沙さんの生前を知りません。しかし、アニマルクラブの取材を通して美沙さんが描いていた絵を知り、彼女の思い出を噛みしめるように語る代表の阿部さんや、残されたお父さん、妹さんの言葉を通して、その人たちの心に映る彼女の人柄を思い浮かべています。

寡黙で、1匹1匹をよく見ている人。それは絵にも表れていて、美沙さんが描く絵にはその動物の性格や仕草が実によく捉えられています。美沙さんが描くのは、たくさんいる保護犬保護猫たちの中でも、目立たないタイプの子でした。

アニマルクラブに新しいボランティアが見え、美沙さんの面影を見るような時、僕は「五井さんって、〇〇さんみたいな感じですかね?」と阿部さんに尋ねるのですが、返事は決まって「んー ぜんぜん違うよ。五井さんみたいなタイプの人はいないから」。「五井さんって、あ、きょうは五井さんの日だなと思うといつもより美味しいお菓子を用意しておこうって思わせてくれる人なんだよね。五井さんがボランティアの日には、もう任せて安心してたから」というのです。

3月11日の地震の直後、仕事中だった美沙さんは同僚に「アニマルに行く」と言い残し、バイクに乗ったそうです。職場からアニマルクラブへはわずかの距離。ただ、クラブへきた形跡はなくそのままお母さんとおばあちゃんがいる自宅へ戻ったんじゃないかと阿部さんは想像しています。東京にいた妹さんが津波の来る直前、美沙さんと電話で話をされています。「津波が来るから早く逃げて」と訴える妹さんに、お母さんとおばあちゃんがいるから逃げられない、と美沙さんは家に残られたようです。家は石巻市南浜町、海の目の前でした。

三人が亡くなられ、お父さんと妹さんがふたり残されました。震災後、お父さんと妹さんを何度か撮影させてもらいました。ふたりはいま、それぞれ別な場所に暮らしています。時折お父さんの元を訪ね、お線香をあげさせてもらいます。仮設住宅、新しく建てた家。お父さんにとっては母であり、妻であり、娘である三人の遺影を前に、お父さんの話を伺います。仕事に打ち込み、いつもくたくたになっているお父さんの仕事は、電気工事関係です。被災地の復旧作業で休む間も無く働いているようでした。「今度〇〇のでっかい現場があるから」「朝がすごい早くてさ、夜遅くまで帰れないから」「それ終わったら今度は△△の現場決まってっから」と、困ったように笑うお父さんが詳しく業務の内容を話してくれるのですが、僕は話を聞きながら、「仕事があってよかったあ」と、別なことを考えていました。ぽっかりと空く時のすきまに、ひとり残されたという実感が去来することは怖いです。

僕は美沙さんと直接お会いすることはできませんでしたが、阿部さんやお父さん、妹さんの向こうに出会い続けている気がしています。そして美沙さんの描いた犬や猫の絵を通して、美沙さんの眼差しを感じています。震災から七年がたったいまも、たくさんの猫や犬の相談がアニマルクラブにはあり、里親が見つからず新たなメンバーとして残って行く子も少なくありません。美沙さんならこの子をどう描いたかな?と僕が思う猫は、きかない子やひょうきんな子など、特徴のある者ばかりです。でも、美沙さんは目立たぬ子、気の弱い子ほど描いていたっけと思い返し、僕には気づけない、見てもいない子に気持ちを注いでいただろう美沙さんに、気づき直します。美沙さんが描いた犬猫たちの中にはこの七年に亡くなった子も何匹かいます。作品展ではすべての絵に阿部さんがキャプションをつけ、彼らの来歴を伝える予定です。

高見順の詩−

光は声を持たないから 
光は声で人を呼ばない
光は光で人を招く

暑いさなかの8月ですが、よかったらぜひ夏の陽射しに招かれてきてください。五井美沙さんとアニマルクラブ石巻の犬猫たちに会いにきてください。

「わすれないでね… 五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち」
期間 2018年8月3日(金)〜19日(日) ※月・木曜日休み
   12;00〜19;00(最終日は17;00まで) 入場無料
場所 gallery 来舎 kiya [梅猫庵] 東京都世田谷区梅丘1−44−10  
ギャラリーHP https://gallerykiya.jp/?cat=7