無題

学生時代、初めてカメラを持って映したのは東京にある自然豊かな山・高尾山のトンネル開発にたいして、それを止めようとたたかう土地の人や自然保護の声をあげる人、そして山の四季と自然の生きものたちの姿だった。トンネルは首都圏中央連絡自動車道、通称「圏央道」建設に伴うそれであり、圏央道がつながることで都心の交通渋滞が緩和されるというのが建設の理由だった。2年かけて40分の映画をつくりあげたが、上映活動に取り組むことをしないまま僕は宮城へ帰ってきてしまった。2012年、高尾山トンネルは開通した。取材させてもらった人たちを振り返れば、いまでも振り返ることのできない申し訳なさが先にたつ。映画は人に観てもらってこそ完成するのだから、未完成のままその地を後にした後ろめたさが心にずっとある。

友人と、環境政策地球温暖化を考えるセミナーを開催したこともあった。就職活動では、自然再生型の公共事業をしたいと大手ゼネコンを受験したこともある。〇〇組の一次面接でその思いを伝えると、「うちはダムをつくったりもしてるので自然を破壊するようなこともあるかもしれないですけど、それは大丈夫ですか?」と返された。ウッと言葉に詰まって、「そうですね・・・もし辛くなったら辞めると思います」と答えてしまい、面接官ふたりの苦笑を誘った。二次面接は呼ばれなかった。10年以上が経ち、温暖化はますます進み、自然再生事業は遅々として進んでいない(ように見える)。〇〇組は、東京大阪間を1時間7分で移動できるという、リニア中央新幹線の建設に励んでいる。

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僕自身が、自然や環境について考えたり活動することがすっかり減っていた。年々夏の暑さが尋常でなくなっていることにも、台風など自然災害が規模を増してることにも不安は募っていたが、なんと言ってもこの冬、東北に雪が積もらなかったことにショックが大きかった。雪のかわりに、あたたかい雨が降ってきた。ここまで来たのかと愕然とした。

 

昨年124日。中村哲さんが亡くなった。亡くなったという以上のこと、そこで何があったのかということを書きたくなく、またニュースで報道されている以上のことは知るよしがないので書くことができない。みな知ってることでもある。悲しく痛ましい出来事、それを言葉にしたくないという気持ちが強い。中村さんはペシャワール会で、貧しい砂漠地帯に仕事をつくり、戦争を未然に防ぎ、地球温暖化をも止めようと活動していた。16,500ヘクタール〈1ヘクタールは100×100m〉の大地に緑を甦らせたという(『ペシャワール会報』号外・20191225日)。

まるで学校の図書館に置いてある偉人伝のような人が同時代の日本人にいる。どれほど励まされ仰ぎみたか。この人がいれば大丈夫だ、と思ってきた。人任せにするという意味でなく、でも、そういう思いもどこかにはあったかもしれない。その中村さんが奪われてしまった。あとを生きねばならない私たちに、残された時間は少ないように感じられた。

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人が変わるほかはない。そして人が変れば、取り戻せるものがある。福岡市で中村哲さんのご葬儀が行われた日、兵庫県豊岡市にある「コウノトリの郷公園」を訪ねた。長年、コウノトリの野生復帰事業を進めてきた場所だ。かつて日本のどこでも見られたというコウノトリは、第二次大戦中、巣を作るための松が伐採され、戦後も開発や農薬の大量使用などによって、野外では1971年に野生絶滅した(15年後の86年、飼育場でも死亡し日本のコウノトリは絶滅した)。人工飼育も繁殖は失敗の連続で、85年にソ連から幼鳥6羽を導入。人工飼育で繁殖させ、05年に初めて5羽を野外放鳥。毎年数羽ずつ放鳥し、現在では180羽ほどに回復し、47都道府県で飛来が確認され韓国まで飛んだ個体もいるという。繁殖地は豊岡のほか徳島、島根、鳥取、福井、京都でもみつかっている。回復して来たとはいえ依然180羽、絶滅危惧種だ。人工飼育を始めた年から考えれば55年が経ち、これからさらに全国でコウノトリが見られるようにするためには、豊岡だけでなく、日本中に彼らが生息できる環境(自然環境と文化環境)を再生する必要がある(『コウノトリ野生復帰のあしあと』兵庫県豊岡市20162月発行)。豊岡を見ることで、それは出来ると思えた。人が変れば自然は取り戻せる。

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コウノトリのように、護られ育まれる生きものがいる一方で、害獣とされる生きものもいる。人里や住宅街に「出没」して殺されてしまうクマが近年あとをたたない。昨年は全国で5,666頭が捕殺された。それまで最も多かったのは、大出没の年といわれる2006年の4,340頭だったのだが、昨年はそれをはるかに超えてしまった。

先月、岩手県盛岡市にある猪去地区で、自治会長さんと大学の先生に現地を案内していただく機会を得た。ここは14年前から、クマと人間とのあつれきを減らす地域づくりをしてきている。2006年の大出没の際、盛岡市では26頭が捕獲され、その内13頭が猪去で捕まった。それを受け、翌年から自治会や岩手大学の関係者が中心となってツキノワグマの出没軽減のための取り組みをはじめた。この地域はりんごなどの果樹農家が多く、それまで廃果が山に捨てられるなど、クマにとっては里への誘引要素が多々あったという。そこで自治会、大学関係者に加えて猟友会、盛岡市などが協働し、廃果の適切な処理や、山と人家との間に緩衝帯を整備すること、草刈りをして見通しをよくしたり電気柵を設置するなど、地道な活動を実施。翌年以降、クマの出没は劇的に減ったという(2016年の大出没では、盛岡で23頭が捕獲されたが、猪去では1頭にとどまった)。

取り組みを進めるにあたっての秘訣を聞くと、まず目指す目標を共有すること。同時に、それぞれの想いや正しさを押しつけあわず、互いを尊重しあいコミュニケーションをとることだという。農作物を守ることに加えて、地区住民を守るためにも必要なことだと呼びかけ、自治会がまとまって活動するよう働きかけることが大切だったと聞いた。

コウノトリの野生復帰に際しても、「自然再生」と「地域再生」の両立を図ることが大切だと指摘されている。クマも人も。コウノトリも人も。「どちらも」幸せに生きられるアプローチが大切で、地域の合意形成は欠かせない。「合意形成」というと堅くるしいが、膝詰めあって話しあい、悩みをともにすることだろう。その地でともに辛酸をなめたり苦労をともにしたり、笑ったり喜んだり。その先に見えてくる風景がある。

 

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北海道と本州で人とのあつれきが増えているクマも、九州ではすでに絶滅し、四国では絶滅危惧種に指定されている。四国の推定生息数は10数頭。この推定数を出した四国自然史科学研究センターを訪ねた。野生生物の調査研究を通して人と生きものの共存を模索しているセンターでは、クマの調査・研究もその活動のひとつだ。調査の一環で森の木にセンサーカメラを設置している。生きものがその前を通過すると写真や映像が撮れる仕組みだ。そこに映った2頭のクマの話を聞かせてもらった。

クマの生息調査をする上で捕獲が必要になり、ドラム缶を縦につないだ捕獲箱を設置した。奥にエサを置き、あるところまで来ると蓋が閉まるという単純な構造だ。その捕獲箱へ、ある日オスの”ゴンタ”が近づいてきた。警戒心を抱きながらも、ぐいっとドラム缶に頭をつっこみ中へ進んでいった。…本来ならここでバタンと蓋が閉まるところだが、そこからが知恵者だった。蓋が閉まろうとする瞬間、ぐいっと伸ばした脚で蓋がしまらぬよう脚をはさませる芸当に出た・・・エサだけはしっかり食べたところで、出てきたゴンタ。すごいな。感心してると後日談も聞かせてくれた。あれだけドラム缶を警戒していたゴンタも、ぼんやりする日もあるのか、ふんふんと無警戒にドラム缶に入ってしまい、バタン。あえなく捕まる日もあるという。あの知恵はいずこへ・・・?

つづいて、メスの”しょうこ”。センサーカメラの前で、心地よさそうにゴロンと横になり、仰向けになって脚を倒木に乗せグーグー寝はじめたという。頭の上には撮影用の蜂蜜をぶら下げていたのに、一向気づく様子もなく。そのおっさんのような寝姿をみなで笑いあったという。飄々として図太くて、生きのこる者たちは違うなあと、妙に納得させられる。残り10数頭と聞くと悲壮感に満ちた痛ましい姿を想像してしまうけれど、クマたち、どっこい生きている。微笑ましくて、でもやっぱり申し訳ない気持ちがつのる。

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昨年、四国でクマについての市民意識調査がなされた。半数は四国にクマがいることを知らず、8割の人はツキノワグマに「怖い」というイメージがあると回答、そして半数以上がツキノワの体重を150200キロと思っているそうだ(実際は50キロ程の成獣も少なくない)。さらにアンケートの中には、「クマがいることどんな意味があるの?」「私たちには何の関係もない存在」というコメントもあったという(日本自然保護協会調査、高知・徳島在住者500人アンケート。多くは市街地住民)

でかくて、恐くて、危ないというネガティブなイメージが先行するクマだが、実際は人里近くに現れても人間から隠れ隠れひっそり生きている。出会ったことがないゆえに、イメージがひとり歩きしていたり、自分にとっての「メリット」で他者を眼差したり、「生きる意味」を勝手に求めたり。ここからは、相模原障害者殺傷事件の被告によって語られている「いのちの価値」の一方的な決めつけを連想しないだろうか。そして障害のある人への、知らないがゆえに持ってしまう世間の勝手なイメージとも似ていないだろうか。いのちに意味を求めたがるのは何故だろう。存在それ自体が答えだと僕は思うのだけど(50万年前からこの列島に住んできたクマに、4万年前にやってきた人間が「いのちの意味」を問うことが、どだい僭越じゃないか)。見えないものへの想像力をどうかきたてようか。地球温暖化も、ふだん目の前に現れることのない、クマへも。

 

「終末的世相の中で」「近代化のさらに彼方を見つめる」と中村哲さんは書いた。「自然を人格と捉えるべきだと思っています。ですから和解という言葉を使っているのです」と、「人と自然の和解が必要だ」と語りのこした(ペシャワール会報・No.1422019124日)。

絶望しそうになる世界にあって、それでも人は変れるしもっとやさしくなれると信じたい。人間のためのみにある星じゃない。ありとあるいのち、すべての存在によって世界はつくられている。豊かな世界を育て、建て直し、後世へとつなげたい。映画を通して、社会運動を通して。

 

野花焼不尽 春風吹又生 (やかはやきつくさず しゅんぷうふいてまたしょうず)

漱石が好んだという句を心にとめて、まもなく春がくる。