あなたに

先々月、日本障害者協議会(JD)さんが毎月発行されている「すべての人の社会」(2月号/No.488)に拙稿を掲載いただきました。連載「優生思想に立ち向かう やまゆり園事件を問う」シリーズです。わたしの気持ちは事件以来、ずっとこのあたりをうろうろしています。ですから「風化を防ぐ」などと題目を掲げて、園でオリパラ行事をするという感覚に心底愕然としました。それができてしまう感覚にこそ、隠しようのない「風化」があると感じます。JDさんに承諾を得ましたので拙稿をここに再掲します。

 

                 あなたに

(手紙に託して)

あなたをどうお呼びしたらいいのでしょう。困っているのです。お名前を知らないのです。男性でお年は41歳。それなら僕より年上ですし、何よりお会いしたことがないのですから「君」ではなく、「あなた」とお呼びするのが相応しいでしょうか。裁判の報道ではあなたが「甲Kさん」と呼ばれていたことも知りましたが、まさか、まさかです。お名前を知らないことがこんなにも不自由だなんて、呼びかける段になって戸惑います。

あの日のあとから、犯人は世間を相手に言いたい放題をしていました。それは読むにも聞くにも耐えがたいものでした。抗議する人たちは世間を相手に「そうじゃない」と言葉を尽くし、その抗議はたいていもっともだと思いながらも、どうしても僕はあの日のことに触れられずにきました。あまりにひどいことでしたから、ずっと避けてきたのかもしれません。それに、あの日のことが語られる時、たとえば亡くなられた方19名へまとめて語りかけられるような時は、違和感が拭えませんでした。かけがえがないというならば、その語りかけはひとりに向けてなされるものです。大勢のうちのひとり、と見なしているうちは、そこにあなたの輪郭も表情も浮かんでこないのです。それでは誰ひとりにもたどり着けないと思いあたって立ち止まったら、それからいまだに立ち尽くしているのです。グズですよね。

それより何よりも、僕はこう思っていました。あなたがまだ話していない、と。あなたの声が聴きたくて、あなたが語りはじめるのを待つような姿勢で、僕は立ち尽くしていました。こうしてあなたに手紙を書いてみることで、あの日のことを語る言葉を探してみます。ひとりのあなたに、自己紹介からはじめさせてください。

僕はふだん、ドキュメンタリー映画をつくっています。障害のある人の暮らしや人生を描いてきました。事件から2年後の秋、夜のNHKニュースでお母さまの手記が流れました。裁判員裁判で「甲K」さんと呼ばれたあなたを初めて知った日です。そこにあなたの似顔絵が放送された時、思わず僕は僕がつくっていた映画「道草」の登場人物にあまりに似ていて、「〇〇じゃん」と彼の名をつぶやきました。似てるということをきっかけにあなたを思いはじめるなんて、想像力は限られていますね。手記を読み、僕はあなたがたしかにそこにいたのだと、その体温を肌で感じた気がしました。探していた人をようやく見つけたような気分にもなりました。そういえばあなたは小学生の頃、急にいなくなってお母さまにとある駐車場で見つけてもらったこともあったそうですね。猫と犬が大好きだったとも知りました。あなたのように犬と一緒になって犬小屋に入ったという経験はありませんが、うちにも大好きな犬と猫がいました。あなたが好んだというドラゴンボール、ああ同世代だと感じました。小学生時分、夕方5時頃テレビで放送していたドラゴンボールが楽しみで、学校が終わると近くの駄菓子屋でお菓子を買いこんでは走って家に帰ったものでした。あなたが家族を笑わせていたというかめはめ波のマネって、誰しも一度はやりましたよね。手記からは、あなたとご家族の日常がいきいきと浮かんできて、まるでその場に居合わせていたような気持ちで「そうそう、そんなことあったっけ」と心でうなずきました。そこに僕はいるはずもなかったのですけれど。

あなたに尋ねてみたいことがいくつもあります。仲良しはいますか?腹が立つのはどんな時ですか?一緒に出かけるなら、どこへ行きましょうか?やっぱり僕はこんなにも、あなたを知りません。知らないことを思い知らされる度に、いまさら間に合わないという気持ちが頭をもたげます。でも、いまからでもはじまることはできる、という気持ちもどこかでずっと持ちつづけているのです。夢みたいなことでしょうか。あなたはたしかにいたし、いるのです。そうでなければあなたに呼びかけるなんて、僕は考えることもできないはずですから。

(言葉を待ちたい)

映画「道草」に、あの日のことに触れた場面がありました。触れるつもりはなかったのです。ムリだと思っていました。でも、あの日被害にあわれた方のひとりのかずやさん*と出会って、何度か会ううちにある日かずやさんが飴を僕にくれたのです。その瞬間のやり取りがあまりにうれしくて、「だれだ“意思疎通ができない”なんて言ったのは」と、みんなに自慢したくて、そんな気持ちをこめた場面だったのです。あなたを「自立させたかった」とお母さまの手記にはありました。どんな自立の姿を夢見ておられたのか、いつか話を聴けるでしょうか。かずやさんは昨年、施設を出て支援者付きのひとり暮らしをはじめました。これからどんな毎日をおくるのか、目が離せません。

お母さまの手記にはこうもありました。“意見を発表するつもりは全くなくそっとしておいてほしかった。亡くなったことを否定したいのに、周りから何か言われれば亡くなったことを押し付けられているみたいで余計落ち込んでしまうから”と。あなたがいなくなってしまったあとも、昨日と変わることなくつづいているようにみえるこの世界は恐ろしい。でも、一方ではお母さまに「この頃姿を見ませんね」とあなたのことを尋ねて声をかける方がいたそうです。お花を持ってこられた方もいたそうです。
お母さまに「押し付けられている」と思わせてしまったことに、僕たちは気づいていたでしょうか。押し付ける言動が僕になかったでしょうか。何度も弁護士に「やっぱりやめておきます」と言いかけたお母さまとおなじ気持ちで、やっぱり話すのをやめにした人、思いも言葉も沈められたままでいる人のことを想像します。あなたのお母さまを沈黙させ、あなたの声を奪っているのは、いったい誰でしょうか。

映画を通して、あなたに「似ている人」と出会い、似ていることからしか想像を拡げられない貧しさを抱えながらも、「似ている人」とすら出会っていない人に、どうあなたのことを伝えていけるものでしょう。ちょっと途方に暮れそうです。僕が暮らす街は雪深くて冷え込むのですが、こんど晴れ間が出たら街へ出かけてみます。もしもあなたに似た人をみかけたら、そばに寄って耳をそばだてて、ああ、こんなとこにいたんですねって、僕はあなたに気づけるでしょうか。そしていつか、「あなた」ではなく、映画をとおして出会った人たちを名で呼ぶように、〇〇さんと呼べる日はくるでしょうか。
ここまで書いてみて、僕はやっぱり、あなたがまだ話していない、という気持ちを深くします。あなたの言葉を待ちつづけたい。あなたが語りはじめるのを、僕はここで待っています。

*かずやさんは、2016年7月26日に起こったやまゆり園事件で重傷を負いながらも一命をとりとめた尾野一矢さんです。


出典:「すべての人の社会」2021年2月号 日本障害者協議会

 

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