『早稲田学報』でご紹介いただきました

早稲田大学の校友会誌『早稲田学報』10月号、「ワセダのクリエイター」特集で映画『杳かなる』のことを取り上げて頂きました。
卒業して20年近くになります。6年半かけて9月卒だったのですが、それから数年余りは卒業したかどうかわからなくなり焦って起きる、という夢を見たものです…。

これまで公開してきた3作品、『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』『風は生きよという』『道草』はすべて学内で上映して頂いてます。
『杳かなる』も上映される日があることを、寝ながら待ちたいと思います。

 

 

介護保障を考えるオンラインシンポジウムに登壇します(11/15)

11月に、「介護保障を考える弁護士と障害者の会 全国ネット」が主催されます、13周年オンラインシンポジウムに登壇させて頂くことになりました。

昨年、日本ALS協会からのご依頼で制作しました短編動画『好きなところで好きな人と暮らしたいPart.2 ~24時間介護保障を求めて~』を上映し、そのあと取材させていただいた小笠原元子さん、藤岡毅さんとトークの予定です。

どうぞご覧ください。

とき:2025年11月15日(土)13:30~16:00
ところ:ウェビナー
参加費:無料
参加申込:下記のURLからus02web.zoom.us

 

 

追記ですが、これまで日本ALS協会のご依頼で制作してまいりました4本の短編動画はいずれも協会のYoutubeチャンネルからご覧いただけます。

 

・「眼にて云う」(口文字 日本語版)

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・『Beyond ALS(ALSを越えて)~ALSとその先へ~』

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・『好きなところで好きな人と暮らしたいPart.1 ~自薦ヘルパー方式を活用する~』

www.youtube.com

 

・『好きなところで好きな人と暮らしたいPart.2 ~24時間介護保障を求めて~』

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『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』横浜上映会のご案内(9/5)

9/5(金)に神奈川県横浜市で、『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』上映会が久しぶりに開催されます。
主催者の方より「監督からメッセージを」というご相談をいただきましたので、出演くださった何人かの方に近況をお聞きし、メッセージに託しました。
上映後の交流会で読み上げて頂くことになっています。東日本大震災からの日々を、僕自身も振り返る契機になりました。

この機会にぜひご参加ください。

 


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社会課題解決型スタジオ「with GREEN PRINTING」映画上映会&交流会
ペット防災週間企画 『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』特別映画上映会
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■上映日:2025年9月5日(金)
■会場:with GREEN PRINTING
横浜市西区高島2-14-12 ヨコハマジャスト2号館3F
アクセス https://withgreenprinting.com/access/
■タイムテーブル:
18:00 開場&受付スタート
18:30 スタッフより始まりのご挨拶
18:35 映画上映スタート
20:20 映画上映終了(交流会準備&トイレ休憩)
20:30 軽食やドリンクをお楽しみいただきながらの交流会スタート   
*交流会のはじめに、宍戸大裕監督からのメッセージを読み上げます。
21:00 終了
🌟上映会の詳細・参加申込は下記リンクをご確認ください。https://wgppetbousai.peatix.com/

■主催・お問い合わせ:
株式会社大川印刷 (今井、齋藤)
TEL.045-441-2011 
E-mail. magokoro★ohkawa-inc.co.jp(★を@に変えてください)

クマの人里出没に

クマによるつらいニュースがつづいている。
こんな時こそ冷静に何が起きているのかを学び、知るという姿勢が大切だと思う。5年前から取材している盛岡市猪去地区。
2006年、全国でクマの大出没があった年に盛岡市で捕獲されたクマの半数が、この猪去で捕獲されたものだった。
りんご農家が多いこの地域でそれまでクマ対策はまったくされてなく、このまま駆除をつづけても何の解決にもならないと考えた地元農家や住民、岩手大学の教員や学生、行政に猟友会が協力してクマ対策をはじめた。
それはとてもシンプルな作業だった。
それまで山に捨てていたりんごの廃果がクマを誘い出していたことを知り、穴を掘って埋めるようにしたこと。農地に接する藪を刈り払って見通しをよくし、人間の存在を知らせること。農地を電気柵でしっかり囲むこと。
集落ぐるみの地道な対策にかかる費用には行政も予算をつけ、継続できるよう支えている。以来クマの出没は激減して今にいたっている。

人里にクマを寄せつけないためには、「クマにとって魅力のない里づくりをすることが大切」と当初から活動を主導したおひとりの青井俊樹先生(岩手大学)がいまも各地でお話されている。

 

 

クマと人が距離をとり、ともども生きていけるようにするためにできることをしている人たちが各地にいて、そうした思いと姿を伝えるべく映画制作に取り組んできた。

そうしたところ、「Yahooみんなの意見欄」で「クマが出没する地域の安全対策としてどのような方法が有効だと思いますか?」という問いが選択式で立てられていたのを目にした。驚愕した。
人里へのクマの出没対策について聴いているはずなのに、選択項目に「入山規制の強化」とある。人里の話ではないのか?
また選択肢の中に、出没対策として最も有効で、猪去でも長年取り組まれ成果もあがっている「山と人里との間に緩衝地帯を設ける様々な活動」が何一つない。
そして‟みんな”に選択されているダントツ一位が、「ハンターによる駆除」だった。

投稿には、「※この「みんなの意見」は関連記事についたコメント内容をもとにAIによって作成されています。」と記されているが、無知や思い込み、偏見に基づいて選択肢がつくられ、それを選ばせることでこれが「世論」であるかのように見せつけてくる。毎度のことながら、Yahooは本当に無責任な企業だと思う。

 

 

そんな無責任企業の世論操作にまんまと乗せられて、手軽な「意見」をクリックしている匿名希望の人びと。クマをモンスターのように扱うことがそこでは流行のようだけど、地球環境をどこまでも悪化させ、無数の動植物を絶滅させてきた地球最悪のモンスターがどこのだれかは、言わなくたってみんな知っている。


いま目の前の山で起きていること、クマに起きていることを静かに見分け、聴き分ける力をもってから「意見」を出しても遅くない。調査なくして発言権なし、という言葉をあたり前に信じている。

木村英子さんを応援します

今回の参議院選比例区、名前を書きたい方がたくさんいます。
とりわけ僕が推しているのは、木村英子さんです。
6年前、比例区で特定枠を使用して参議院議員に当選。
「重度障害者」とされる方としては憲政史上初めてのことでした。今回は特定枠は使用してませんので、名前を書いてもらわなければなりません。

木村英子さんを応援しています。
そして、比例区も選挙区も、
差別と排除に反対するあらゆる候補者を応援しています。
わたしたちが怒りや憎しみ、恐れや不安にのみ込まれてしまわぬように。

みんなで生きよう。
みんなで生きよう。
みんなで生きよう。

<木村英子さんへの応援メッセージ>
映像作家の宍戸大裕です。
障害や難病のある方のドキュメンタリー映画の制作を通して
僕は木村英子さんと出会いました。


日本で、障害があるとされている人は、1164万人。
総人口の約9.3%と言われています。
国会議員が衆参713人いて、9%と言えば64人にあたります。
障害当事者の議員が64人はいていいはずの国会ですが
実際は健常者が中心で、声や態度が大きく、
元気な人ばかりで占められています。

 

木村英子さんは19歳まで障害者の入所施設で暮らしていました。
障害のある人がどんな暮らしをしてされてるか、あなたは知っていますか?
2016年に津久井やまゆり園で起きた入所者への殺傷事件。あの時、あの中に暮らしているひとりひとりのことを、思い浮かべることはできたでしょうか?

 

社会から隔てられている人の声は聞こえてきません。
つらく苦しい思いをしている人は声をあげることもできません。
だから、障害のある人はいないことにされ、介護保障は減らされ、親は障害のある子を殺させられています。

 

支えが必要なのは、すべての人がおなじです。
けれど、健常者中心につくられているこの社会では、障害や難病によって支えが必要になるということが悲劇であったり
未来を喪うことだという価値観ばかりが植え付けられています。

 

木村英子さんはこの社会を排除される側から生きてきた人だと思います。
だから、現にいま隔離され、排除され、いないことにされている。
そんなひとりひとりの顏と名前を思い浮かべられる人だと思います。

 

だれにも気付かれない人が私たちの隣には暮らしています。
そのひとりひとりが見えている木村英子さんが国会には必要です。
障害のある人と、ふつうに街で出会える社会に僕は暮らしたい。
だから木村英子さんを応援しています。 

 

排除と差別を終わらせるために。
だれも置き去りにしないために。
木村英子さんを国会に送り出しましょう。

 

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治安維持法100年に

映画『杳かなる』の関西公開を翌月に控えた3半ば、大阪・京都への宣伝道すがら宇治へと足を延ばしたJR宇治駅で下りて、平等院へと向かう観光客のにぎわいを横目に、宇治川沿いを歩いていくとしずかにたたずむ宿が見えてくる。花やしき浮舟園、と風雅な名のついたこの宿は、事前に電話で確認していたからか、フロントで来意を告げて案内を乞うと「こちらですとすんなり道を挟んだ古い建物の方導いてくれ

若いスタッフは蔵のを外し電気のスイッチをつけると「見終わりましたらフロントに伝えてください」と宿へと戻っていかれた。がらりと引き戸を開けると、正面にひとりの青年の写真が飾られていた

山本宣治。戦前「山宣」(やません)と呼ばれ愛された人。1889年に京都市で生まれ若くしてカナダに渡り、働きながら苦学して帰国。京大や同志社大生物学を教え性教育産児調節運動、労働者農民の教育運動に励んでいたところ、192821普通選挙(第16衆議院議員総選挙)で京都2区から労働農民党で立候補定数36名があらそう大激戦の中、14,412をえて当選し代議士となった。

ここ、花やしき浮舟園山宣の生家であり、今もひ孫の卓治さんによって旅館営まれるかたわら、山宣の記録を集めた資料室が運営されている。

 

今からちょうど100年前の1925年。1本の法案が帝国議会に提案され

治安維持法」。
「国体を変革」することをめざす無政府主義者、「私有財産を否認」する共産主義者を取り締まることを念頭につくられ、昭和戦前期の日本のあらゆる社会運動を監視し、人びとの自由も生命も圧殺した稀代の悪法である。1928年、田中義一内閣は同法の最高刑を「死刑」とし、「目的遂行罪」も加えるという大改悪を緊急勅令という形で強行し、成立させた。

翌年、山宣が同法の問題を糾弾した第56帝国議会論戦6回、その議事録は今もむことができる違反で逮捕された者たちに対し、官憲が違法拷問を数限りなくっており政府はこれを許してはならないし法を踏み外すもの処分すべき、と被害者の名前拷問場所、内容議会で明らかにする

拷問の具体例として、次のようなことが挙げられる

函館警察署ではコンクリートの洗面所か浴室のようなところで、冬の寒空に裸で四つん這いにさせられ刑事から竹刀で殴られ「”モウ”と言え」と言われて「モウ」と言わされる。「床をなめろ」と言われて床をなめさせられる。意識を失うまで竹刀で尻を叩かれ、走り廻らされる。鉛筆を指の間にはさまれ、三角型の柱の上に座らされて膝の上に石を置かれる、足を縛って逆さまに天井からぶら下げられ悶絶するまで放っておかれる、頭に座布団を縛りつけて竹刀で殴られる、生爪を剝がされる―

衆議院予算委員第二分科第4号 昭和428日」

書き写していても気遠くなりそうなことがまかり通ってい

政府の責任を問う山宣に、内務政務次官・秋田清は斷ジテ之レ無シト申上ゲテ宜シカラウ」と木で鼻をくくったような答弁に終始した。

35日の議会で、治安維持法そのものを悪法として批判する反対演説を用意していた山宣は、議会で妨害に遭って発言を封じられてしまい、緊急勅令の事後承諾案は賛成249、反対170で可決されてしまう。

その夜東京市会議員選挙に立候補している中村高一の応援演説を終えて寄宿先の神田光榮館に帰ってきた山宣は、21時半ごろ入浴して食事をしようとしていたところ、面会を求めてきた右翼(七生義団)黒田保久二心臓と左頚部を刺され、暗殺される3910か月。

山宣遭難の地にはプレートがたっている

山宣が命がけで反対を貫いた治安維持法は、その後さらに狂暴さを増す。拡張解釈をくりかえして右から左まで取り締まりの対象を拡大、自由主義者、宗教家、はては読書会や研究会といったちいさなグループまで取り締まりをひろげた。日本の傀儡国家や占領地域においては輪をかけ残忍な運用がなされ、死刑となるものが相次いだ

敗戦の年10月、同法がGHQ司令部に廃止されるまでの検挙者数は68,274人にのぼる。そのうち警察署での拷問による死者93人、服役・未決拘留中の獄死者128人、獄中の発病で出獄・釈放後に死亡した者208人、自死した者25人、宗教弾圧での死者60人(創価学会初代会長の牧口常三郎も獄死している)。

 

国内の治安維持法による検挙者が統計上もっとも多14,622人(法務省資料)にのぼった1933年。220には作家・小林多喜二特高警察に捕まり拷問され、その日のうちに殺され。当時、多喜二とともに帝国主義戦争反対、人びとの自由をもとめたたかっていたひとりの大学生手塚英孝がいる。

18歳で県立徳山中学を卒業し山口県から上京、慶応義塾大学に入学。社会科学研究会を結成し学生運動をしていたころには本所公会堂で山宣の「きんきんした声でユーモラスな」演説を聞いたりもしている。治安維持法で検挙された際の経験を、手塚は次のように振り返る。

 「私には、金鵄勲章というと、かならず思い浮かんでくる一人の男がいる。生駒という三田警察の特高刑事の拷問係である。四十二、三の肥ったヒゲの濃い、青黒い頬をした、野獣に似た目付きの残忍で冷酷な男だった。マドロスパイプを横ぐわえにしていた。この拷問係は、一九一八年のシベリア出兵のときの『武功』で金鵄勲章をもらっていた。(中略)

 治安維持法で逮捕された人たちは、この生駒にひどい拷問をうけた。雨の日には、婦人の活動家を呼び出して、退屈しのぎに恥辱を加えたりした。私も同じようにかなりの拷問にあった。二カ月近くたっても歩くのが苦しかった。その頃、父が病死した。留置場から呼び出され、両手を板壁につけて体を支えながら階段をのぼって、特高室で郷里からの電報を持ったまま呆然として立ちすくんでいた。『どうだい、親父が死んでちょうどいいだろう』。マドロスパイプを横ぐわえにした生駒がニヤニヤしながらいった。『文句をいう奴はおらんし、これからお前も大手をふって運動をやれよ』」

 

226事件が起き、中国で戦線を拡大していく年に出獄した手塚は、敗戦後『小林多喜二全集』の編纂に専心する。この手塚英孝は、わたしの大伯父にあたる。

 

この夏、治安維持法制定から100年、敗戦から80年を迎える。

27参議院議員通常選挙が行われており、山宣を押し上げた京都は定数2。現職2立候補している。自由民主党から西田昌司日本共産党から倉林明子である。

西田候補5月、沖縄のひめゆり平和祈念資料館の展示について「日本軍が入ってきてひめゆり隊が死に、アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いてい歴史書き換えられている」という趣旨の発言をして、数日後訂正削除すると謝罪しかし、その後も月刊誌『正論』で占領中に作られた日本の仕組みや体制を国民にしっかりとお話しし、理解してもらい、歴史観を取り戻す」とか、「(引用者注:資料館の展示からは)日本軍にはネガティブに、逆に米軍にはポジティブな印象を受けたといった声も確認できます」「これはあまりにアメリカの立場に立った歴史認識ではないでしょうか」などと発言している。

2025/5/31 月刊正論7月号)

 

『正論』を読むかぎりでは、西田候補は歴史の事実よりも歴史観とか「印象」を重視しているように見える。しかし「歴史観」は一知半解の者でも持つことができるし、「印象」は事実を学ばずとも抱くことができる。政治家はそんな雑な見解を披歴することに精を出さずに、歴史の事実を知りつづけるという、もっとずっとめんどうで地味な作業に力を尽くしてほしい。

私の母方の祖母は、治安維持法ができた年に生まれた。敗戦時17歳だった祖母は、晩年、祖父が酒に酔っては唄い出す軍歌を心底嫌っていた。『戦友』の歌詞のあたまにある「ここは~お国を何百里~」がはじまると「バカこの。せつけなもんやめろ!」とにらみつけ、いつにもまして祖父を罵倒した。イラク戦争の頃だったか、テレビで交戦の様子が映し出されるととたんにチャンネルを替えて、「だいっきらいだ」と呟いていた。

戦中どんな経験をしてきたのかついにひと言も遺すことなく、祖母は世を去った。だけどその口吻とたたずまいから、わたしは「戦争」の何たるかを十分に教えられた気がしている。沖縄ではいまも戦争のPTSDに苦しむ方がいる。からだに戦争がしみこみ、今なお戦時中なのだ。歴史観とか印象といった頭で描いた「おはなし」にうち興じる前に、歴史の事実を学ぶこと。為政者にこそ切に求めたい。

 

「戦争が外部に対する暴力的侵略であると同時に、国内においては反動的恐怖政治たらざるを得ない」と書いた、小林多喜二。戦争と恐怖政治はセットでやってくる。

外国への敵愾心と怒りをあおり、国内では戦争と差別に反対する者たちを縛りあげて弾圧、恐怖支配する。そういう歴史をわたしたちの国すでに持っている。

軍事予算が天井知らずに計上され、治安立法が着々と準備されている。共謀罪法、特定秘密保護法は戦前の治安維持法、改正軍機保護法・国防保安法に類似していないか。

政府からは「杞憂だ」とか「印象操作だ」(印象ということばを使って問題をすり替え曖昧にし、矮小化する手口が蔓延している)とか「無意味な批判」だという声が出る。「批判」があるからこそ問題の所在が顕在化し、為政者が抑制的になりあらたな戦前になることを食い止められるのだ。

先の戦争を招き、国を滅ぼした者たちの歴史は脈々と受け継がれている。西田候補が所属していた自民党町村派。領袖の町村信孝衆議院議員は与党自民党で秘密保護法の制定を推進していた者であり、その父・金五は内務省警保局長として治安維持法の執行に采配を振るい戦後自民党の国会議員になった者である。わたしの大伯父を拷問した生駒特高刑事をはるか雲の上で指揮していた者が自民党をつくりあげているのだし、そういう歴史の事実を抜きにして、「杞憂」だの「印象操作」だの言われたところでどんな歴史観も印象も持つことはできない。

恐怖政治が支配し戦争へと日本が坂を転げ落ちていく中、命がけで抵抗した京都のひと、山本宣治。この山宣を押し上げた京都の地で、夜郎自大に走る為政者の妄言を笑いばし、戦争と恐怖政治を跳ねす候補者が国政へと送り出されること。

そんな選挙結果が見られることを心から期待する。

 

四国のツキノワグマの未来のため

四国では絶滅にひんしているツキノワグマ、もう20数頭しか残されていないと言われています。4年前に徳島と高知に通い「熊と人 四国の森に生きる」という動画を制作しました。
現地の人たちが「熊も人も」生きられる世界をめざしクラファンをはじめています。
応援メッセージを書きましたのでご紹介します。どうぞプロジェクトページをご覧になってみてください。

 

<応援メッセージ>

わたしたちは「知らないもの」を怖れます。わずかに目にし耳にしたことから怖れはみるみる膨れあがり、「いなくなってほしい!」と願ったり、排除してしまったり。
でもまずは落ち着いて、よりよく知ってみたらどうでしょう?
「怖れ」はだんだん薄らいで消えてしまった、そんな経験はありませんか。

2020年6月から四国へと幾度かかよい、絶滅に瀕するツキノワグマの研究・保全に取り組む方々を取材し、「熊と人 四国の森に生きる」という動画を制作しました。
四国全域で、もう20数頭しかいないツキノワグマ。地域でも、実際に目にしたことのある人は稀でした。
この地に根を下ろし、地域の方へと働きかけて、ツキノワグマを絶滅から救うためひたむきに活動されてる方々と出会いました。
熊と人の軋轢予防、生息地を保全することで地場産業が発展するという商品開発、地道な活動は着実に地域の人の「怖れ」をうすめ、隣りあう存在としての熊を地域の方へ浸透させていました。

ときには「熊か、人か」という二者択一を迫られた時もあるでしょう。けれどこの活動は「熊も、人も」なのだと互いに確かめあう日々がそこにはありました。
今回の「しこくまワークショップ」はその活動をさらに深める取り組みです。
もっと知りたい、四国のツキノワグマのこと。
だから僕は、この取り組みを心から応援しています。

(映像作家 宍戸大裕)

 

https://readyfor.jp/projects/shikokuma