夏目漱石に、次のような一句がある。
ぼけさくやそうせきせつをまもるべく。
拙を守る、という字はめずらしい。‟節を守る”はいまも時折目にする。しかし漱石はここで拙という字をあてている。
明治30年(1897年)、熊本五校で英語教師をしている31歳頃の句だ。漱石は漢詩にも小説にも、「守拙」を用いる。
『草枕』にはこうある。
評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生まれ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
現在でも用いられることのある”節を守る”には「自己の信ずる考え、志、行動などを貫き通して変えないこと」といった意味がある。一方、漱石は「拙」という字を選ぶ。つたない、下手、おろか、役に立たないという語をあえて用いて、それを守るとする。こうした徳目を徳目とみる態度それ自体が明治の半ばには喪われつつあり、漱石はそれに抗うため拙を守るとみずから言挙げしたのであったろうか。木瓜の花をみかける度この句が浮かぶ。
さて、政治のことである。
拙を守るひとを推す。
世間のつきあいはもちろん、政治家はなおさらである。
便乗根性のものを推さない。「タイケツよりカイケツ」など猪口才をいうものを推さない。口先ばかりではらわたのない鯉のぼりを推さない。
政治理念がちがっていても、意見があることにおいて信頼できるもの、拙を守るものを推す。
6月22日、東京都議選。
小金井市では無所属の漢人あきこさんを推す。
節を守り、拙を守る。漢人あきこさんを推す。
漢人あきこ オフィシャルウェブサイト