拝啓
学生時代に友人たちと制作したドキュメンタリー映画、「高尾山二十四年目の記憶」にご出演いただいた峰尾章子さん、峰尾幸雄さんにお会いするため、先週の水曜日、一年ぶりに東京都八王子市にある裏高尾町を訪ねました。
お二人にお会いする前に少し高尾山を登ろうと思ったのですが、京王線・高尾山口駅へ降り立った時間が午後遅かったため、山頂まで行くことはせずに一号路登山道を途中まで登ったところで脇道へそれ、蛇滝方面から裏高尾町へ抜けました。一年ぶりの裏高尾町の空には、もうすっかり、完成間近を思わせる巨大な黒い建造物が聳え立っていました。
※八王子市裏高尾町・圏央道建設現場(正面の山が高尾山)
章子さんはお健やかなご様子で、一年前と変わらぬ笑顔で迎えて下さりとても安心しました。最近も日影沢で「天狗の集い」を開きたくさんの人が集まったのだと、教えて下さいました。昨年の秋に伺った際、「来年の春さき、暖かかくなった頃に一緒に登りましょう。章子さんをみんなで担ぐ神輿も用意しますから」、などと軽口を飛ばしていたのですが、春の大震災のために「神輿に担ぐ」という話もそのままになってしまっていました。いつか震災の取材に目処がつくような時が来たら、ふたたび高尾山への通い路を踏みしめたいと思っています。
二軒隣に住む幸雄さんとも、一年以上ぶりの再会となりました。「畑にはもう出ないんだ。家でゴロゴロとしてるばかり」と時折大きく息を吸い、そして呻くように吐き出す呼吸の奥から、小さな声で話してくれました。初めてお会いした時もご高齢でしたが、お歳を召されたなあ、という一抹の寂しさを覚えながら、高尾駅まで30分ばかりの道のりをのそのそと、歩いて帰って来ました。
その晩、神楽坂で開かれた映像サークル「風の集い」の中でTカメラマンからこういうことを云われました。
「高尾山を守るといったって、自然環境を守るだけの話じゃないんだ。人間は環境を破壊して生きてきたんだから、いまさらただ単に”自然を守りたい”だけの話じゃないんだよ。そこで何が大切なのか、何を撮るのかと云えば、人間の尊厳なんだよ」「成田にしてもそう、高尾にしてもそう、そこで苦労しながら根を張って暮らしきた人がずっといるのに、それを無視して権力が問答無用で取り上げる、それはおかしいんだよ」
この「人間の尊厳を撮るんだ」という言葉に、私は高尾山の取材を始めて以来いままで感じていた、章子さんや幸雄さんを始めとする「裏高尾町圏央道反対同盟」の人々への言葉に出来ない愛着の所在に、初めて言葉を与えられた気がいたしました。また、Tカメラマンからは映像制作者の「落とし前の付け方」ということも教わりました。「自分の映像に対して、人の人生の1時間半なり2時間なりをもらう訳だから、”自分はこう考えるんだ”、”これが自分の考えだ”というものを示しきらなきゃ観た人は納得できないよ。それでは申し訳が立たない。君自身が観た人に落とし前を付けるんだよ」と。
「落とし前」、とは元は的屋の隠語だったようですが、改めて自分自身に突きつけられてみた時、武者震いがしました。「落とし前、付けてやろうじゃないの」という電気が、中心にひたばしりに走り抜けました。
高尾山と裏高尾町、そして「風の集い」は私が映像制作を初めるにあたっての原点でありますが、この原点はこれからも原点でありつづけるのだろうということを感じた一日となりました。
敬具
平成辛卯 師走二十四日
宍戸 大裕