しかしなるであろう

拝啓
昨日は時折雨がぽつらぽつらと降る中、仙台市中心部で「さよなら原発1000万人アクションinみやぎ」が行われ、私も参加してまいりました。(http://d.hatena.ne.jp/miyagicnet/
デモ行進の後の主催者報告によると、行進には200名程が参加されたそうです。私のデモ行進の記憶は2000年3月、高校生の時分に東京青山で行われました第53回解放運動無名戦士合葬追悼会のデモ行進に参加したのが唯一で、今回はそれ以来11年ぶり2度目となりました。
シュプレヒコールが「原発やめよー!」「子どもを守れー!」とごくシンプルな言葉が続いたため声も合わせやすかったのですが、ボンヤリしている内に「ゲンパツヤメヨー、コドモヲマモレー」が念仏のようになってしまい、終には「…ゲンパツマモレー!…?コドモヲヤメヨー…」と口走ってしまいました。シュプレヒコールも集中力が大切ですね。

※写真「会場にて」

それはともあれ、驚いたことが会場の一角に展示されていた「女川原発で起きていた深刻な事態」というパネル展の内容です。それによると、女川原発は3月11日の震度6弱地震の時と4月6日の震度5強の余震が起きた時の2度にわたり、5系統ある外部電源の内4系統が遮断され使用不能となり、わずか1系統の外部電源でバックアップを果たしていたという事実です。それはすなわち、もし残る1系統も遮断されていた場合、原発を冷却する機能は失われ、福島第一原発と同じ事態が出来した可能性が非常に大きいということです。「フクシマ」だけでなく、女川もまたカタカナで「オナガワ」と、世界に知られる可能性があったということ、このことを私は昨日まで知りませんでした。情けなく思います。

さて、先週のことです。11月9日付の朝日新聞朝刊一面に「原発事故コスト1.6円に」との見出しがありました。記事を読んでいきますと、国の原子力委員会原発の発電コストを計算し直した旨書かれてあったのですが、気になったのは以下の部分です。

    「原発稼働率が60%、事故確率を最悪で1基当たり『500年に1回』とした場合は
     1kw時1.6円になった。『500年に1回』は福島第一原発1〜3号機の3基で起きた
     事故を3回と数え、国内の原発の延べ運転年数を割った。」

初めに申し上げますと、私は中学生の頃、数学に「図形」が出てきた瞬間から数学は大の苦手となりまして、未だに人前で数字を云々するとしどろもどろになるのがオチという者です。ですから、ここで感じた疑問は「理系」の友人何人かに聞いてみた上で発しています(「理系の人に聞けば数学や理科のことは何でも教えてもらえる」と思い込んでいるのも、数学や理科が苦手な人の特徴です)。
ここで私が感じた疑問というのは、原発の事故確率として示した「500年に1回」という数字を出す際の計算式として、「国内の原発の延べ運転年数を割る」というのは妥当なのか、ということです。これはつまり、国内にある原発54基のすべての運転年数を足し算した数字が「1500年前後」と出て、それを事故を起こした「3基」で割ったということでしょうが、そもそも日本で原発の運転を開始してから50年弱しか経っていないのですから、50で割るのが相当ではないでしょうか。
「運転年数の足し算」という理屈が許されるのであれば、例えば日本に原発が1,000基あり1年間稼動したと想定して、その内のただ1基が1年の間に事故を起こしたとすれば、それは「1000年に一度の事故」ということになってしまいますが、それがペテンだということは、数学や理科の問題以前の「常識」或いは「良識」の問題ではないでしょうか。私が不思議でならないのは、2011年3月11日以降に起きている現実のなかで生きている人間が、未だに原発の事故確率を「500年に1回」として計算式を立てられるその神経です。全体主義ナチス・ドイツについて研究した政治哲学者ハンナ・アレントが述べていた、

   「最大の悪者とは、自分のしたことについて思考しないために、自分のしたことを
    記憶していることのできない人、そして記憶していないために、何をすることも
    妨げられない人のことなのです。」(『責任と判断』) 

という言葉を思い出します。自分のしていることを思考しない、したことを記憶しない、よって何ものにも妨げられない。本当に恐ろしいことは、こういう人間の態度なのかもしれません。

「最大の悪者」と酷似した態度を示す人は現代にあっても存在する。それでもなお、私は昨日のデモを歩き終えた後、すがすがしい気持ちでいました。デモをともに歩いた200名の参加者と言葉を交わすことはほとんどありませんでしたが、参加者の一人ひとりが胸に抱いていた切実な願いは、言葉を交わす必要もなくひとつであり、真実であったと思うからです。

    やがてはそうなるであろう
    しかしなるであろうか
    しかしなるであろう 
  
「その人たち」に歌いこまれた中野重治のこころは、いま私たちのものでもあるのです。
                                                 
                                                 敬具

平成辛卯 霜月十四日
宍戸 大裕