粛々とは願い下げである

今夕、ポレポレ東中野で上映中の「圧殺の海-沖縄・辺野古」(藤本幸久、影山あさ子監督)を観た(公式HPはこちら http://america-banzai.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html)。

 

109分。辺野古の海は美しく、海に沈められたカヌー隊の人びとが息を吸うため天を仰いだ時、映し出される空は青く、雲は白かった。
映画を観たという感じがしなくて、沖縄辺野古に来たな、という思いがした。ここに「玩物喪志」が微塵もなかった。玩物喪志が悪いというのではない。価値の高低の話ではなく、ここに玩物はなくしたがって喪志はなかった。圧殺されるものは何か?沖縄は独立するのか?俺は何をするのか? 玩物喪志が無いために、話は自然にそこへくる。

三木清の『人生論ノート』(新潮文庫)を10年ぶりに読み直した。
「怒について」にこうある。

 今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無性格であるということのしるしである。
 切に義人を思う。義人とは何か、―――怒ることを知れる者である。

「圧殺の海」には、怒がみなぎっていた。いや、それは憤りだった。海がある。海を枕に暮らしてきた人びとがそこにいる。生活をしている。突然、ごろつきがなだれ込んできて海を囲い込む。きょうからここは使えない、という。何でだ、と抗弁すれば腕力でねじふせられる。話にならない。その時出てくる感情は、怒よりも憤りがより大きくは無いか。だが憤りでも、怒りでもなんでもいい。要するに、三木清の「今日」は戦前の日本であったが、「今日」はただいま現在の日本および日本人にそのままあてはまる。もちろん、僕にもあてはまる。あてはまってしまう。

昨年11月の沖縄知事選挙で辺野古基地建設反対の翁長知事が誕生した。そこで飛び出したのが、安倍政府の番頭、菅官房長官の「建設工事は粛々と進める」発言だ。

ある人間が、ある考えを持つ。そこに、ちょっと待った、異議あり、とくる。そこからはじまる。そこからしかはじまらない。だが、ある種の人間はそこからはじまると思えない。めんどくせえ、どしどし行こう、押しつぶしていこう、こうくる。その時たいがい出てくるのが「粛々と」だ。官房長官が永田町で不景気顔をさらして粛々としている時に、辺野古では粛々とは正反対の顔たちが、異議ある人びとを弾圧している。文字通り、圧殺している。

この作品を観る前と観た後では、日本がよほど違って見えてくる。一層悲惨な形をとって浮かび上がって来る。グロテスクとさえいえる。グロテスクとの最前線でのたたかいをたたかっている人びとは、米軍基地前でスクラムを組み唄い、シュプレヒコールをあげる。カヌーに乗り込み、グロテスク陣営が引いたオイルフェンスを乗り越えていく。機動隊、防衛局、警察、海上保安官。彼らは職務に忠実だ。それは、ひとりの不景気男がいうところの粛々などとは無縁のはたらきだ。
海上保安官のひとりは無類のはたらきを見せている。カヌー隊のひとりは海に引きずりこまれて恐怖の声をあげている。「(ひとりの海上保安官を指し)こいつはヤバイって!こいつヤバイんだって!(仲間の名を呼び)頼む、近くにいてくれ!」

仲間やカメラが近くにいない時、「こいつ」の乱暴は国民を守る警察官の職務を放棄して、ほとんど傭兵か変質者の域に達していることが容易に想像できる。実際、何人かの海上保安官は特別公務員暴行陵虐致傷(刑法196条、195条1項)で告訴されている。

荒々しくつかまれる、殴られる、羽交い絞めにされる、踏みつけられる、押し倒される。テロがおきても、ちっとも、おかしくない。ちっともおかしくないところで、テロにいかずに持ちこたえている。「こんちくしょう……」というところを押しとどめて、あくまで非暴力で行く決意を見る。自然と見えてくる。僕が勝手に見ているのだが、それは彼らのたたかう姿がそのままそう言ってるのだと思う。何故非暴力か。人びとを信じているからだ。そうとしか思えぬ。人びととどこまでもつながりつづけようとする意思だ。踏みつけにするのは、海上保安官だけではない。その背後にある、本土の人間による踏みつけ。海上保安官よりももっと無表情な、それこそ粛々とした顔をした本土の人間の踏みつけ。その本土の人間へもつながりつづけようとするがための、非暴力。

この作品を観ながら、沖縄の最前線のたたかいを観ている、と感じていた。海上保安官に対し、ボーリング調査に対し、辺野古基地建設に対するそれは文字通り最前線のたたかいだろう。人は誰も、自分の人生のいまここを生きている。その場がそのまま最前線だ、と思う。その場その場が最前線。そんな本当の話を、逃げ口上にはできない。逃げ切れぬものを観てしまった。観てしまったとて、僕はいま沖縄にいるわけではない。辺野古にいるわけでもない。東京の一隅に仮り暮らしをさせてもらっているだけなのだ。
どこでたたかう?というのが結局やってくる。

ブログでこうして久しぶりに書いてみる。正味のところ、こんな恥ずかしいほどちいさな抵抗が、私のだいたいの抵抗であるだろう。髪の毛一すじほどの抵抗ですらない。事実としてそう思う。
最前線は、辺野古の海辺にある。
米軍基地前で組んだスクラムは、だがこれも事実として思う。それは日本列島北から南へ伸びている。スクラムは断絶していない。あとからあとから、陣列は広くなり、厚くなる。圧殺する側には決して立たない、と表明する。圧殺する者を拒否する。この意思表明が私のいまの最前線であり、髪の毛一すじほどの抵抗なのだ。
粛々と、は願い下げである。

平成乙未 弥生二十二日
宍戸 大裕