みんなたたかってきた

『忘れられた日本人』を読み終えた。
ものを識らずに生きている自分、何も積み重ならずに、無内容、無力のままにただ生きてあることを痛切に思わされる。
とにかくものを識らない。切実でない。上辺だけで表層的。人間の構造として、度しがたく表面的で不真面目な感じを突きつけられる感じがする。向こうから突きつけてくるのでなくて、自分のこれまでの一切が自ずから突きつけてくる。空の雲、大地の草、土の匂い、風の音、虫の声、鳥の飛び方、川の音、その流れ方、木の名前、木に巣くう虫の生き方、野菜の伸び方、育て方、食べ方。百姓の肌の色、しみの出来方、しゃべり方、歩き方、手のつかい方、腰の動かし方、歌、踊り…。とにかく識らない…。すべて識ってない。

東から来た雲と西から来た雲が空でぶつかる。
その時、ぶつかったところで来た道を逆もどりに進んでいく雲がある。その理由がわからない。そもそも識らない。識らないままに済んできてしまっている。現に済ませている。その至らなさがいたたまれなくなる。生活を変えたい。生きる場所、食べるもの、食べ方、息づかい、身体の使い方…、一切丸ごとを変更したい。変更しなければ間に合わない。そんな気になる。

「解説」のところで、網野善彦さんが宮本さんの『民俗学の旅』を引用していた。その中に曰く、

 「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う」


パリで、また大きな、多発テロがあったとニュースで知った。人間はどうなっていくのか。事件が多すぎる。ひどい事件が多すぎる。人間性の底が抜けていくようで、不安にかられる。どこまでも悪くなっていく。行為も、言葉も。どうやれば止められる?どうすれば押し戻せる?わからないままに、打つ手もなくどこまでも押しまくられている。人間が押されている。僕も押されている。そんな気がする。どうすればいい。

パリの事件が起こる前の日、つまり昨日。東京駒場にある日本近代文学館で開催中の「高見順という時代−没後50年−」を観てきた。

僕は中野重治を通じて、高見順に関心を持つようになった。中野の書いた「高見順をおもう 文学者としてのねばり強さ」は、何度読み返しても胸を打たれる。こういう友人関係が得られたら仕合わせだし、こういう友情を持てたら人生はきっと豊かだと思う。ふたりの共通点はいくつもあるだろうけれど、その中でも福井の生まれであることと、どちらも「転向」していることは僕としてとても気になる。福井の風土(高見は生後すぐに東京へ越したのだけど)と「転向」。とりわけ、「転向」に魅かれていく。

中野は、「高見順をおもう」の中で高見を次のように書く。

 「自分だけの安全席にいて白い眼で世間を眺めるというのは高見の行き方ではなかった。なさけないほどの困り方、あさましいほどの迷い方といったものにしろ、それが人びとのものである場合それを高見は人びととともにした。それは高見自身のものであったから。」

 「(引用者注:高見の)葬式のあの日は、十八日、十九日ときたチュライ地区の戦闘が、アメリカ軍単独の力で、つまりいわゆる南ヴェトナム政府軍ぬきでたたかわれて『村ぐるみ殲滅』戦として終結した直後だった。この戦闘はかつての日本軍の『三光』をさえ上まわるものだった。高見が死ぬるきわまで戦争と平和とについて考えていたことを私は疑わない。」

いつの世も暗い夜はある。真っ暗闇の中で、真っ暗闇だからこそなすべきことがある。闇とねばり強くたたかってきた人がいた。そしていまも、いる。人間が闇に向って押しまくられている。押し返していこう。押し返していく。ねばり強く、押し返す。
みんなたたかってきたんだから。

平成乙未 神無月十四日
宍戸 大裕