クマよ

昨日、宮城県の山でクマの生息調査をされてる方々に同行させてもらい山を歩きました。
野生動物に魅せられたのは中学生の頃。NHKの「生きもの地球紀行」を毎週ビデオに録画して観ていました。
自然の生きものが映しだされる番組は素晴らしかったのですが、最後の5分間は決まって「この生息環境がいまは失われようとしています」という話でした。
それが辛くて、いつしか観るのをやめてしまいました。それでもその頃はじめた新聞の自然記事の切り抜きはいまもつづけてます。
21年前の記事には九州で絶滅したクマの目撃情報が書いてありました。いま、四国のクマが絶滅の危機を迎えているそうです。

昨日は、定点カメラの映像チェックと電池交換が主な作業でした。「背こすり」というクマの行為の跡がカラマツやアカマツに残っていました。
映像にもしっかりとクマたちの姿が映されていました。イノシシやアナグマの姿もありました。夜更けにじゃれあうアナグマが2頭、転げあい跳ねあってる姿にときめきました。人が寝静まったころ、遠くの山で2頭の毛むくじゃらのアナグマが、長いことじゃれあってる。なんて素敵なことだろうと、うれしくなりました。

昨日は、クマの生態だけでなく、クマに困ってる方の話も聞くことができました。
山のふもとで養魚場を経営してる方は、数組のクマが昼も夜もやってきては魚を取りに来ると話してくれました。
飛来してくる鳥の方が魚を確実に取っていくので困ってる、とも聞きました。ただ、クマの場合怖いのは人身被害だと。

山を案内してくれた方が、「養魚場の周辺に張ってある電気牧柵が伸びた草に触れてて、あまり効果を発揮してない」ことを話し、来週草刈りの手伝いにきます、と伝えます。ボランティアです。クマと人との関係を取り持とうと、間に立とうとしている方々。

その方々は、断定的な言葉をほとんど使わないことに気づかされます。
「身体小さいですね、子熊でしょうか」と聞けば、「どうでしょう、わからないですね」と答え、
「背こすりはコミュニケーションなんですか?」と聞けば「そんな感じもしますけど、よくはわからないですね」と答える。
わかることはわかると答え、わからないことはわからないと答える。それがわかることの本質だと思い当たらせてくれるような人たちでした。クマを知りたいという思いで山に足を踏み入れたのは昨日が初めてです。これを書いてる間も、山で2頭のアナグマがじゃれあっていることを想像したり、養魚場の前に出てきて魚を狙ってるクマのことを具体的に思い描くようになりました。
森のこと、山のこと、ほかの生きもののこと。広く知っていきたいです。


<養魚場前の生きものたちの足跡>


<背こすりにやってきたクマ>


<人が捨てていったゴミ。人の食べ物の味を覚えてしまうと
   人を襲うようになってしまうそうです>


<背こすりがされた跡。木の下の泥はイノシシがやってるようです。
  「生きものたちの伝言板」という説を伺って想像力ふくらみます>


<クマが食べるどんぐり>