暗さを大切に

拝啓
昨夜、新潟から仙台へ帰って参りました。長岡へ寄れたらとも思いましたが新潟市から60キロ余り。帰り道のことも考え、別な機会に譲ることにいたしました。道中、小国街道から仙台への道のりは、雨に煙りつづけていました。濃い霧の中に浮かぶ田んぼは稲刈りもとうに終えたようで、いまはただ長い冬の訪れを待つばかりのように見えました。

さて、昨日・一昨日は南相馬市から新潟市へ避難されている障害当事者の女性を取材させていただきました。一昨日は昼過ぎから夜まで、夕飯までご馳走になりながらゆっくりとお話させてもらうことが出来ました。話の折「こちらに来て良かったことは何かありましたか?」と問い掛けると、口をグッと結び、ようやくという感じに喉の奥の方から、「新潟の人は…、あったかいから…」と言葉にするとついに絶句し、涙をポロポロこぼされました。女性の頭に、南相馬市で暮らしてきた日々のことや震災後の数々の苦労の日々が去来していたのかもしれません。
また、話が歌のことに及んだ時、彼女が中島みゆきのフアンであることを知りました。最近の歌は聴くことが出来ていないそうですが、みゆきの初期の作品から幾つか好きな曲名を挙げて下さいました。かく云う私も、フアンの一人です。

彼女が挙げてくれた曲の一つに、「海鳴り」がありました。アルバム『愛していると云ってくれ』の4番目に入っている曲で、「海鳴りよ 海鳴りよ 今日もまた お前と 私が 残ったね」という歌詞が、みゆきらしい一曲です。
彼女は「暗くなるといけないから、人と一緒には中島みゆきの歌は聞かないの」と苦笑いしながら話してくれました。私の学生時代、一年間だけ受講させていただいた教育学の岡村遼司先生が授業の際に仰った「中島みゆきは、いいですねえ。とてもいいですねえ。冬に聴くのがいいですねえ。ただ夏に聴くと…、死にたくなる…。」という呟きが思い出されて、可笑しかったです。

イロニーとして彼女の云う「暗さ」や、先生の云う「死にたくなる」という感覚をこそ、私は映像制作の上でも生きていく上でも大切にしたいと思っています。

                                                        敬具

平成辛卯 霜月七日
宍戸 大裕