牛と生きていく(Farm Arcadia)

拝啓
昨年3月、東京電力が起こした福島第一原発爆発事故によって、原発周辺地域には多くのペット動物や家畜動物たちが取り残され死んで行きました。「死んで行」ったという表現を採ると、まるで動物たちがひとりでに自然現象のように死んでしまったように聞こえてきますが、事実はまったくそうではなく、「人間に殺されて行った」という表現の方がはるかにその実態を正確に表していました。ここでいう「人間」には、東京電力や政府といった原子力発電を推進してきた人々の集団があり、また、動物たちの命について一次的な責任を負っていた、飼主たちの存在がありました。

非常時に直面させられた動物たちにとっては、平時以上に「どんな飼主を持っていたか?」ということが、そのまま自身の命の行方を左右する最重要事でした。東京電力や政府の原発事故に対する責任が問われるべきことは言うまでもありませんが、その責任を問うことによって動物たちの飼主の責任が免れる訳ではないこともまた、言うまでもありません。「避難するよう政府から命じられたから」、「立入禁止と国が決めたから」、こうした「誰々が決めたから自分は従った」という話を、取材中動物たちの飼主の口から何度か耳にすることがありました。その「誰かが決めたこと」に従ってしまった結果、動物たちの命が失われる結果になったこともありすぎるほどにありました。

どうして「一緒に生きて行くから一緒にいる」と言えなかったのか、どうして「誰かが決めたこと」に無条件に従うのか。飼主を責めることは出来ないし、責めるべき相手は他にいるだろう、という考えが沸き起こってくる一方で、「飼い主が守らなきゃ…」という想いが肚の底で頭をもたげてくるのを、止めることが出来ずにいます。

そうした中の今年1月、原発事故後も飼育する牛たちの世話をするため警戒区域となった楢葉町へ通い続けていた畜産農家と、動物たちの命を守りたいという民間の有志がひとつになり、「Farm Arcadia」(ファーム・アルカディア)という組織を設立しました。(HP http://farmarcadia.org/

牛の出荷や移動、繁殖などは禁止されていますが、それでも生かしたい、生きていてほしいと願う両者が手をつなぎ、牛たちを終生飼養しようとする試みが始まりました。牛たちを終生飼養していくための補償金は、どこからも出ません。それでもなお牛たちとともに生きていくということは、その牛たちが生きている限りお金が掛かるということです。

「食べられるための家畜を生かし続けることに意味があるの?」
原発近くの放射能を浴びている牛を世話することは危険じゃないの?」
「どうして殺処分に同意しないの?」

あらゆる疑問をまるごと包み込んで引き受けて、Farm Arcadiaは少しずつ進んでいます。ここはすべてが新しい、問いと試みの場所。「誰かが決めてくれる」楽園ではなく、「自分たちで決め、自分たちで引き受ける」楽園。この楽園の行手を見つめ続けたいと思います。

   
   ※「FarmArcadia」紹介映像

                                                  敬具
  
平成壬辰 卯月十二日
宍戸 大裕