茨城のり子展から連想するさまざまのこと

今月はじめ、横浜ジャック&ベティでの音声ガイド付き上映会を終えた足で、世田谷文学館へ行ってきた。4月からはじまっていた「茨木のり子展」を観るために。休日の夕方、閉館1時間前ということもあってか館内は空いていた。
世田谷文学館HP http://www.setabun.or.jp/ 企画展は6月29日まで)

川崎洋さんと「櫂」をはじめる際の自筆の往復書簡や茨木さん愛用のめがねに、椅子。そして「Y」ことご主人安信さんのことをつづった詩の原稿。おなじひとところに茨木さんがいるような、手紙を書く息づかいが聴こえてくるような、そんな展示がなされていた。

展示の中に、「いちど視たもの」という詩があった。何度か読んできたはずだったのにこれまですっかり読み過ごしてきていたことに気が付いた。

 いちど視たもの 一九五五年八月十五日のために―  茨木のり子


 いちど視たものを忘れないでいよう

 パリの女はくされていて
 凱旋門をくぐったドイツの兵士に
 ミモザの花 すみれの花を
 雨とふらせたのです……
 小学校の校庭で
 わたしたちは習ったけれど
 快晴の日に視たものは
 強かったパリの魂!

 いちど視たものを忘れないでいよう

 支那はおおよそつまらない
 教師は大胆に東洋史をまたいで過ぎた
 霞む大地 霞む大河
 ばかな民族がうごめいていると
 海の異様にうねる日に
 わたしたちの視たものは
 廻り舞台の鮮やかさで
 あらわれてきた中国の姿!

 いちど視たものを忘れないでいよう

 日本の女は梅のりりしさ
 恥のためには舌をも噛むと
 蓋をあければ失せていた古墳の冠
 ああ かつてそんなものもあったろうか
 戦おわってある時
 東北の農夫が英国の捕虜たちに
 やさしかったことが ふっと
 明るみに出たりした

 すべては動くものであり
 すべては深い翳をもち
 なにひとつ信じてしまってはならない
 のであり
 がらくたの中におそるべきカラットの
 宝石が埋れ
 歴史は視るに値するなにものかであった
 
 夏草しげる焼跡にしゃがみ
 若かったわたくしは
 ひとつの眼球をひろった
 遠近法の測定たしかな
 つめたく さわやかな!
 たったひとつの獲得品
 日とともに悟る
 この武器はすばらしく高価についた武器

 舌なめずりして私は生きよう!

 
 
昨夜のNHKニュースで、「集団的自衛権解釈改憲によって認めよう」とする安倍政府の方針への世論調査の結果が紹介されていた。内訳は賛否同数(26%)、「わからない」との答えが40%にのぼった、とのこと。
敗戦から69年。戦後生まれはいま日本の人口のどれほどを占めるのか。
戦後生まれの政治家が、解釈ごっこ憲法をもてあそぶ。そのもてあそぶ姿を、おなじく戦後生まれの国民多数が、「わからない」と答えてやり過ごす。わからないで、済むのか。

いちど視たもの、それは人によって様々あるはずだ。戦後生まれの人間にとってそれは多く、いちど聴いたものかもしれない、いちど感じたものかもしれない。その場その時にいなかったのだからそれでいい。だからこそ、いちど聴いたもの、いちど感じたものの経験としての危うさを知っておきたいのだ。その浅さを、痛切に自覚すべきなのだ。
 
以前書いたことだけれど、もう一度。映画の上映後にお会いした忘れ難い出会いを伝えたい。1945年、敗戦を満州で迎えた9歳の少年は、77歳のおじいさんとなり映画を観にきてくれた。おじいさんは、当時自宅で飼っていたナチという白い飼い犬の話をしてくれた。敗戦が決定的となり、満州からの命からがらの逃避行がはじまる。

「家族で逃げるのに精一杯でナチを連れてくることは出来ず、玄関につないできてしまった。ひと月後にふたたび家に戻ると、ナチは玄関の前に坐って待っていた。その時の喜びようが、いまも頭から離れない」−

ナチは近所の人が餌をやってくれたおかげで生き延びていたそうだ。しかし、やはりともに避難することはできずついに置いてきてしまい、それっきり。福島の犬を観て、昔を思い出しました、と。

飯田監督の「犬と猫と人間と」のなかでは、第二次大戦中、日本で犠牲になった犬のことが語られる。前線に軍用犬として連れ出される犬。戦局が悪化し、生活が窮乏すると肉は食用に、皮は飛行服に使われた。犬を差し出さない国民は非国民呼ばわり。動物園の動物たちも殺処分され、あるいは餓死させられた。
映画を観た時は「昔話」と思っていたけれど、そうとも言えなくなってきた。

特定秘密法や武器輸出三原則の見直し、集団的自衛権の行使容認、憲法解釈改憲
憲法の下にあるべき内閣が、憲法自体を破壊しようとしゃにむに暴走する。この大いなる幼稚さに、恐怖を覚える。

「国際情勢の変化」なる曖昧模糊たる理由が、中東までも日本国自衛隊を派遣する理由になるのか?いまの総理には、そもそも曖昧模糊が多すぎる。頭が明晰でないのは知っていたけれど、的確な批判をされると血相を変えて反論(になってないのだが)する幼児性は、見ていてとても寂しくなる。その幼児性を「言うべきことは堂々と言う」などと思い込むあたりが度しがたい。フェイスブックの「いいね!」の数に毎日一喜一憂してるんじゃないかと、心配になる。あんなもの、宰相のすることか。

平和で豊かな国がなければ、動物の福祉も人間の福祉も成り立たない。長年の積み重ねもすべて水泡に帰してしまう。

敗戦から、68年10ヶ月。
原発事故から、3年3ヶ月。

あたらしい教訓は、もう必要ない。僕たちは、すでにもたらされた大きすぎる犠牲を学ぶことで十分に理解できる。戦争はいらない。原発はいらないと。日本国民がその真価を問われている。

茨木さんならいまどんな詩を書くか。
茨木さんに仮託せず、ひとりひとりの詩をいま書こう、とあたりまえのことを思う。


平成甲午水無月十日
宍戸 大裕