あす、31日に東京原宿で「犬と猫と人間と」「犬と猫と人間と2」「動物たちの大震災 石巻篇」の上映会をしてくださるnekonokoさんのお手伝いに、夜から会場づくりをしている時、地震が起きました。ちょうどスクリーンを掛ける柱を、ひとりで左右片方ずつ持ち上げている時でした。揺れてる、と思いジッとしていると、すぐに収まりました。
しばらく会場づくりをつづけて、22時過ぎにスタッフの皆さんにご挨拶して原宿駅へ向かうと、JRが止まっていました。代行輸送の地下鉄へ向かうと、明治神宮駅は大混雑。それでも、昨年秋に観た中国北京の夕方のラッシュアワーから比べると、ましでした。それは「観た」だけで終り、乗ることは諦めました。
東京に大震災が来た日には、何も出来ることはないなと感じました。
とにかく自分が生き延びること。大切な人と生き延びること。みんながそれに専念すれば、きっとみんなが助かるはずと、それ以上考えることをやめました。
きょう、高田馬場の古書店で高見順の「敗戦日記」(文藝春秋)を買いました。800円。
立ち読みをしている後で、店主と客とが話しているのが聴こえてきました。客は戦時史の研究をしているらしく、話は戦中の軍事資料のことから現在の政治の話に及んでいました。
「日本の戦時史研究者はアメリカのアーカイブス2に行かないと研究が進まない」、「いまのうちに戦中の陣中日記なんかは集めておかないといずれ日本政府が無いものにする」と話していました。
戦時を生きた人の日記を読みたくなっていました。
高見の日記の、1945年5月30日、すなわち70年前のきょうの項には次のようにありました。
五月三十日
日本橋の三越も焼けたという。(略)銀座のエビスビアホールも焼けたという。
店へ小林秀雄が入って来て、
「今ちゃんが帰って来たそうだ」
え?と皆(注=久米、川端、中山、永井)は驚いた。もう駄目と諦めていた今日出海君が運よく潜水艦で比島から脱出することができ、台湾へついて、それから飛行機で内地へ来た。逗子の家に無事に帰ったという。万歳! というところだ。
きのうの日記には次のようにあります。
五月二十九日
寝たと思ったらラジオの情報でおこされた。空襲警報。小型機来襲と知らされ、かねて用意のものを庭に出し、母、妻とともに秋葉さんの洞穴へ行く。新聞持参。(略)
今朝の爆撃は横浜をねらったものだった。五百機というから、横浜は一ぺんで灰燼に帰したのではないか。
「武者さんが『楽天家の反省』というのを東京新聞に書いていたが、我々楽天家もいよいよ反省しなくちゃならんことになった」と林房雄が言った。
そしてあすの日記には、こうあります。
五月三十一日
店で、おかみさん風の女が「東京から焼け出されて来たものだが、雑誌を売ってくれ」という。なるべく厚い雑誌がほしいという。
「チリ紙がなくて困っているんです」
※ 以前と今――
以前は、
軽蔑して、―満足した。
今は、
軽蔑して、―寂しい。
(青春は去った。)
人にバカにされたいと思ったら、――人をバカにしないこと。
何ひとつ、変わらないものはなく、歳月だけはとどまることがない。
”人間が恐ろしく嫌いだ 人間を愛し過ぎる” 高見順がなつかしい。
平成乙未 皐月三十日
宍戸 大裕