笑われる人

前回の日記の終わりに、高見順の1945年5月31日の日記の言葉―

 人にバカにされたいと思ったら、――人をバカにしないこと。

を書きました。どこかにメモをしていたのですが、いまそのメモが手元になく、あやふやな記憶頼みになりますが森田草平もまた、

 人を笑う人にならず人に笑われる人になれ

という言葉を残していたように思います。
いま、日本でもアメリカでも、期待や声援、嘲笑、侮蔑、罵詈雑言を一身に浴びているのが、沖縄県知事翁長雄志さんではないでしょうか。先日、共同通信のインタビューに答えていた言葉に身が震えました。
記事を載せていらしたブログをご参照ください。  (http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65953323.html

この中で、「私のみじめさは何でもないが、県民のみじめさは絶対あってはならない」、という一言がありました。同時代人の中にまだ、こういう男子がいたということに、まず驚きました。そして読み直して、涙が出そうになりました。こんな男子が、市井に埋もれず、県の代表としている。県民がその人を選んだ。
そして、日本政府だけでない、担当者出てこい、とアメリカまでも飛んでいく。まるで大塩平八郎。いや、しぶとく、粘り強く、勝つための方法を考えぬいて行動し、石に爪を立てるようにして登れそうにもない山を登っている。大塩を超えている。

どんな比喩も、比喩にならない。翁長さんの行動それ自身が、いままで見たことのないスケールと、情熱、粘着力を持っている。

高見の日記を読む。

1945年6月4日。

 「沖縄の急迫化を新聞は伝えている。那覇市内、首里城址に敵は侵入したという。沖縄も駄目なのだろうか。沖縄が敵の手に落ちたら、どうなるのだろう。」

 
70年経ち、沖縄びとが、また沖縄を守るためにたたかっている。
それを笑うものがいる。笑って、酒のつまみにするものがいる。満たされない腹を満たそうとするものがいる。人にバカにされたいなんて人は、普通はいない。バカにする人間はいても、バカにされる人間は本来いない。バカにする人間の分も、バカにされてやってるというのがほんとうだ。

自分も、バカにされるところへ出て行こう。笑われるところへ出て行って、やせ我慢して平気な顔をしていよう。

 

 辺野古キャンプシュワブゲート前 先月吉日

平成乙未 水無月三日
宍戸 大裕