出会ったときがいちばんいい

あしたから、映画「風は生きよという」の公開がはじまります。渋谷アップリンクで、7月9日〜29日までの予定です。

公開前の心境は、いつも浮きません。憂鬱で不安ばかり。明日のことを思い悩むな、どころか、公開期間の3週先まで思い悩んでます。「人がいなかったらという恐怖」「作品の評価への心配」。いまさら、と呆れられそうなことを、いつも繰り返して思う。
平気になれ、と思う。でも、また不安が胸に湧いてくる。
ある雑誌の鼎談で、中島岳志さんがヒンディー語に「与格構文」という構文があることを紹介していました。
それは例えば、「私はあなたを愛してます」なら、「私にあなたへの愛がやってきて、留まっている」という言い方をする。「私」が主体にならない。「風邪をひいた」というときも、「私に風邪がやってきて留まっている」と。

この例に倣うと、僕のこの不安も、「僕に不安がやってきて留まっている」ということなのでしょう。

僕は、「いい顔をしなきゃ!」、と思うと、気持ちが落ち込みます。つまらなそうな顔をして平気でいたい。けど、それができずにいまにきてる。
ほんとのところ、きっと、誰だって。

悲しいときには悲しいだけ悲しんでいられるのがほがらかだと、中原中也がその詩に書いた。そして、酒場で賑やかに騒いでいる人たちだって、そのこころのうちは、元気なんかじゃないのだと。
元気のふりはよそうと思うし、元気を出せよと思ってもみる。面白くもないのに笑えるかと堂々、淡々、してみたいけれど、なかなかそこがそう、いきませぬ。

不安は、何かを期待するところからはじまるのだろう。溢れかえる劇場、激賞する人びと。喝采雨あられ。なんぼなんでも、そこまで思わぬ。でも、どうだろう。ほんとのところ、どうだろう。
不安にはこんなにも実体を感じるのに、期待には期待するほどの実体もない。

「いつか」、という高田渡さんの唄が好きです。
「気がつかないで通りすぎて行くのが いちばんいい 出会ったときが いちばんいい」という一節を聴きたくて、ときどきかけてます。
こんな心境で、あしたを迎えます。