ばかものよ

近所の白梅が咲いた。五分咲きというのだろう。咲いても控えめなありようにひとり合点してうなずいてしまう。満開の花は、いいなと思うより先に哀しみを催す。桜の花の満開の下には、何が埋まっていなくとも足を伸ばしたくない。

先月、明治大学ドキュメンタリー映画「月あかりの下で」(http://tsuki-akari.com/)の自主上映会が開かれた。2010年の4月に朝日新聞で監督のインタビュー記事を読んで以来ずっと気になっていたのだけれど、ようやく観ることができた。会場は教室で、僕は一番前に坐った。これは、長き学生時代の晩期、何としても単位を取得する必要があった頃に身についた癖で、「おれはここにいるぞ」と教師にアピールするのが目的ではじめたのだ。

傑作だった。一番前に坐っていたから容易に泣くこともできず、何度か顔をまるごとぬぐって涙を拭くのをごまかした。生徒が素晴らしかった。先生が見事だった。

終盤、先生が詩を朗読した。何を詠むのかと瞬間どきどきして身構えた。それは、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」だった。僕が学生時代、人権の授業を教授してくれた先生がやはりこの詩を朗読してくれた。あまりにも有名だけれども、念のために。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


映画の中の先生は、最後の一句「ばかものよ」を絶叫して詠んだ。僕の先生は声を落として詠んだ。どちらも最後の一句にその時の自身を込めていた。おそらくは茨木さんも。

茨木さんが亡くなられたのは、2006年2月。映画が出来たのが2010年。だから先生の絶叫を、茨木さんはきっと観ていない。村上一郎は「人よ、詩人の責任を」と書いた。それがふいに連なってでてきた。

茨木さんの詩に「汲む−Y・Yに−」という作品がある。これも、あまりに有名なのだけれど、気の弱い僕はここのなかの一節を頼りに生きているときもある。

「汲む ―Y・Yに―」

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです


茨木さんのエッセイ「谷川俊太郎の詩」のなかで、谷川さんからこんな風に指摘されたと書いていた。

「あなたの人へのやさしさってのは、つまりはあなたの性格の弱さからきているんだな」

これは的確で、肝に銘じている。と茨木さんは受けていた。弱さからくるやさしさはどんな顔をしているのだろう。人を憂うると書く優しさが弱さからきていては頼りないものと、半分同意し、半分そうでもあるまいと思う。弱さからくるやさしさに居直るつもりはなくそんなことも出来ない。やさしさにも折々の表情があることを知りながら、弱さからくるのでないやさしさを、どこかで見つけてみたい。早くせい、ばかものよ。


平成甲午卯月清明
宍戸 大裕