昭和20年夏の人びと−その弐
『木戸幸一日記』上下を手に入れることが出来た。例によって、高田馬場の古書街にて。
店から店へと歩いていると、文芸春秋から出されたドナルド・キーンさんの『作家の日記を読む 日本人の戦争』(角地幸男訳)という本も見つけ、購入した。こちらは買わずにしまったのだけど、永六輔さんの『8月15日の日記』(講談社)という本のあることも知った。これも読んでみよう。
木戸幸一(1889年−1977年)。40年から45年まで内大臣で昭和天皇側近。東京裁判で終身刑となるも、のちに仮釈放。
その木戸の、昭和20年6月8日の日記。
一、沖縄に於ける戦局の推移は遺憾ながら不幸なる結果に終るの不得止を思はしむ。しかも其結末は極めて近き将来に顕はるることは略(ほぼ)確実なり。
一、御前会議々案参考として添附の我国々力の研究を見るに、あらゆる面より見て、本年下半期以後に於ては戦争推行(ママ)の能力を事実上殆ど喪失するを思はしむ。
(中略)
一、依って従来の例より見れば、極めて異例にして且つ誠に畏れ多きことにて恐懼の至りなれども、下万民の為め、天皇陛下の御勇断を御願ひ申上げ、左の方針により戦局の拾収に邁進するの外なしと信ず。
沖縄での戦争は、悲惨な結果に終るだろう。日本の戦争遂行能力は尽きようとしている。天皇の御勇断、すなわち戦争を終らせる決定をしてもらうということに邁進するしかない。それが、70年前のきょう、6月8日の木戸幸一の日記だった。
おなじ頃、沖縄はどうか。先々月、沖縄のひめゆり平和祈念資料館で見た記録から。
6月17日。牧志鶴子さん、16歳。
伊原第一外科壕で被弾。大腿部をもぎ取られ、「当美ちゃん、脚がない」と言って息たえた。物静かで優しい人だった。
その頃、鎌倉の高見順。「隣組の中村さんの庭に、さし当りいらない衣類その他を箱につめて、埋め」たりしていた(6月12日)。この時、38歳。
同日、同時刻、同時代。ひとりひとりの人生を思う。
平成乙未 水無月八日
宍戸 大裕