無題・二

映画「ルイズ その旅立ち」(藤原智子監督)を観た。
大杉栄伊藤野枝の四女、ルイさんを描く。ルイさんの遺影に引きこまれる。力強い目が父・大杉栄に似ている。ルイさんの声が響く。「恨みや怒りをその都度水に流していてはならない。それでは自分自身のバネにならない。恨みや怒りは溜めていくことが大事だ」。

 

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1923年関東大震災で、栄と野枝、そして栄の6歳のおい橘宗一(むねかず)少年が混乱に乗じた憲兵隊によって殺された。井戸に投げ捨てられた3人の姿を陸軍軍医が絵に描いていた。むしろで包まれ隠された遺体。大杉の足が、むしろから飛びだしている。絞殺される前に激しい暴力が加えられていたことが軍医の解剖書によって初めて知らされる。肉親の最期の姿を知ったルイさんは、怒りと悲しさと悔しさとで眠れず、それ以来栄と野枝の子としての自覚を強めていく、と説明がつづく。非常時のどさくさまぎれ。官憲による残虐の数々。日本人によるおびただしい蛮行。その混乱期の人びとを佐多稲子が『私の東京地図』に書く。

 

「それからの激しい二、三日、京成電車の線路を伝わって避難してゆく人々の流れの中には、歌舞伎の赤い娘の衣裳のまま、ぐったりと人の背に負ぶわれてゆく役者の怪我人なども混っていた。負ぶった人の肩にもたせかけた顔の、厚く白粉を塗った色がいよいよお面のように見えて、もう息は絶えているのではないか、ともの凄い。
裾の重い赤い娘衣裳をたくし上げて負うたその下に、細い男の脛がぶらんぶらんと揺れていた。工場の汚水の流れ出る曳舟川の紫色の水の上に、うつ伏せに浮いた死体もそのまま。

井戸へ朝鮮人が毒を入れたと噂が飛ぶ。一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げたという人がいる。すると同じ長屋の男まさりのおかみさんが、「何言ってるんだよ。朝鮮人が追っかけられたのさ。その前をまた逃げたんだよ。日本人の方がどうしたって数が多いじゃないか。こわがることはないよ」と言った。私は、そのおかみさんの判断に感服した。
が、私は、弟のどこからか持ってきたとび口を用意に手元においている。とび口はぴかぴか光り意外に重かった。」(佐多稲子『私の東京地図』挽歌から)

 

非常時の風景はすさまじい。人心が不安に襲われ、不安が不安を呼ぶ。そこに噂がひとつ飛ぶ。噂はまことしやかに伝わり、柳を幽霊と見間違う人が出てくる。だが97年前、そんな日本にも、“おかみさん”のような人はいた。その後歴史は、井戸へ朝鮮人は毒を入れていないことを証明し、ひとりのおかみさんの想像や判断が正しかったろうことを証明した。佐多さんはひとりの優れた“おかみさん”に感服したということで話を終らせず、自分自身がとび口を手元に置いていたことを書き残した。自衛のためだろうか。本作は1946年11月に書かれている。発災から23年が経っている。非常時にも冷静で沈着だった“おかみさん”のような人を伝え残す必要がある。同時に、自分がとび口を用意していたことを23年後に書き残す佐多さんの誠実さに僕は感服し、伝え残したいと思う。

無題

学生時代、初めてカメラを持って映したのは東京にある自然豊かな山・高尾山のトンネル開発にたいして、それを止めようとたたかう土地の人や自然保護の声をあげる人、そして山の四季と自然の生きものたちの姿だった。トンネルは首都圏中央連絡自動車道、通称「圏央道」建設に伴うそれであり、圏央道がつながることで都心の交通渋滞が緩和されるというのが建設の理由だった。2年かけて40分の映画をつくりあげたが、上映活動に取り組むことをしないまま僕は宮城へ帰ってきてしまった。2012年、高尾山トンネルは開通した。取材させてもらった人たちを振り返れば、いまでも振り返ることのできない申し訳なさが先にたつ。映画は人に観てもらってこそ完成するのだから、未完成のままその地を後にした後ろめたさが心にずっとある。

友人と、環境政策地球温暖化を考えるセミナーを開催したこともあった。就職活動では、自然再生型の公共事業をしたいと大手ゼネコンを受験したこともある。〇〇組の一次面接でその思いを伝えると、「うちはダムをつくったりもしてるので自然を破壊するようなこともあるかもしれないですけど、それは大丈夫ですか?」と返された。ウッと言葉に詰まって、「そうですね・・・もし辛くなったら辞めると思います」と答えてしまい、面接官ふたりの苦笑を誘った。二次面接は呼ばれなかった。10年以上が経ち、温暖化はますます進み、自然再生事業は遅々として進んでいない(ように見える)。〇〇組は、東京大阪間を1時間7分で移動できるという、リニア中央新幹線の建設に励んでいる。

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僕自身が、自然や環境について考えたり活動することがすっかり減っていた。年々夏の暑さが尋常でなくなっていることにも、台風など自然災害が規模を増してることにも不安は募っていたが、なんと言ってもこの冬、東北に雪が積もらなかったことにショックが大きかった。雪のかわりに、あたたかい雨が降ってきた。ここまで来たのかと愕然とした。

 

昨年124日。中村哲さんが亡くなった。亡くなったという以上のこと、そこで何があったのかということを書きたくなく、またニュースで報道されている以上のことは知るよしがないので書くことができない。みな知ってることでもある。悲しく痛ましい出来事、それを言葉にしたくないという気持ちが強い。中村さんはペシャワール会で、貧しい砂漠地帯に仕事をつくり、戦争を未然に防ぎ、地球温暖化をも止めようと活動していた。16,500ヘクタール〈1ヘクタールは100×100m〉の大地に緑を甦らせたという(『ペシャワール会報』号外・20191225日)。

まるで学校の図書館に置いてある偉人伝のような人が同時代の日本人にいる。どれほど励まされ仰ぎみたか。この人がいれば大丈夫だ、と思ってきた。人任せにするという意味でなく、でも、そういう思いもどこかにはあったかもしれない。その中村さんが奪われてしまった。あとを生きねばならない私たちに、残された時間は少ないように感じられた。

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人が変わるほかはない。そして人が変れば、取り戻せるものがある。福岡市で中村哲さんのご葬儀が行われた日、兵庫県豊岡市にある「コウノトリの郷公園」を訪ねた。長年、コウノトリの野生復帰事業を進めてきた場所だ。かつて日本のどこでも見られたというコウノトリは、第二次大戦中、巣を作るための松が伐採され、戦後も開発や農薬の大量使用などによって、野外では1971年に野生絶滅した(15年後の86年、飼育場でも死亡し日本のコウノトリは絶滅した)。人工飼育も繁殖は失敗の連続で、85年にソ連から幼鳥6羽を導入。人工飼育で繁殖させ、05年に初めて5羽を野外放鳥。毎年数羽ずつ放鳥し、現在では180羽ほどに回復し、47都道府県で飛来が確認され韓国まで飛んだ個体もいるという。繁殖地は豊岡のほか徳島、島根、鳥取、福井、京都でもみつかっている。回復して来たとはいえ依然180羽、絶滅危惧種だ。人工飼育を始めた年から考えれば55年が経ち、これからさらに全国でコウノトリが見られるようにするためには、豊岡だけでなく、日本中に彼らが生息できる環境(自然環境と文化環境)を再生する必要がある(『コウノトリ野生復帰のあしあと』兵庫県豊岡市20162月発行)。豊岡を見ることで、それは出来ると思えた。人が変れば自然は取り戻せる。

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コウノトリのように、護られ育まれる生きものがいる一方で、害獣とされる生きものもいる。人里や住宅街に「出没」して殺されてしまうクマが近年あとをたたない。昨年は全国で5,666頭が捕殺された。それまで最も多かったのは、大出没の年といわれる2006年の4,340頭だったのだが、昨年はそれをはるかに超えてしまった。

先月、岩手県盛岡市にある猪去地区で、自治会長さんと大学の先生に現地を案内していただく機会を得た。ここは14年前から、クマと人間とのあつれきを減らす地域づくりをしてきている。2006年の大出没の際、盛岡市では26頭が捕獲され、その内13頭が猪去で捕まった。それを受け、翌年から自治会や岩手大学の関係者が中心となってツキノワグマの出没軽減のための取り組みをはじめた。この地域はりんごなどの果樹農家が多く、それまで廃果が山に捨てられるなど、クマにとっては里への誘引要素が多々あったという。そこで自治会、大学関係者に加えて猟友会、盛岡市などが協働し、廃果の適切な処理や、山と人家との間に緩衝帯を整備すること、草刈りをして見通しをよくしたり電気柵を設置するなど、地道な活動を実施。翌年以降、クマの出没は劇的に減ったという(2016年の大出没では、盛岡で23頭が捕獲されたが、猪去では1頭にとどまった)。

取り組みを進めるにあたっての秘訣を聞くと、まず目指す目標を共有すること。同時に、それぞれの想いや正しさを押しつけあわず、互いを尊重しあいコミュニケーションをとることだという。農作物を守ることに加えて、地区住民を守るためにも必要なことだと呼びかけ、自治会がまとまって活動するよう働きかけることが大切だったと聞いた。

コウノトリの野生復帰に際しても、「自然再生」と「地域再生」の両立を図ることが大切だと指摘されている。クマも人も。コウノトリも人も。「どちらも」幸せに生きられるアプローチが大切で、地域の合意形成は欠かせない。「合意形成」というと堅くるしいが、膝詰めあって話しあい、悩みをともにすることだろう。その地でともに辛酸をなめたり苦労をともにしたり、笑ったり喜んだり。その先に見えてくる風景がある。

 

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北海道と本州で人とのあつれきが増えているクマも、九州ではすでに絶滅し、四国では絶滅危惧種に指定されている。四国の推定生息数は10数頭。この推定数を出した四国自然史科学研究センターを訪ねた。野生生物の調査研究を通して人と生きものの共存を模索しているセンターでは、クマの調査・研究もその活動のひとつだ。調査の一環で森の木にセンサーカメラを設置している。生きものがその前を通過すると写真や映像が撮れる仕組みだ。そこに映った2頭のクマの話を聞かせてもらった。

クマの生息調査をする上で捕獲が必要になり、ドラム缶を縦につないだ捕獲箱を設置した。奥にエサを置き、あるところまで来ると蓋が閉まるという単純な構造だ。その捕獲箱へ、ある日オスの”ゴンタ”が近づいてきた。警戒心を抱きながらも、ぐいっとドラム缶に頭をつっこみ中へ進んでいった。…本来ならここでバタンと蓋が閉まるところだが、そこからが知恵者だった。蓋が閉まろうとする瞬間、ぐいっと伸ばした脚で蓋がしまらぬよう脚をはさませる芸当に出た・・・エサだけはしっかり食べたところで、出てきたゴンタ。すごいな。感心してると後日談も聞かせてくれた。あれだけドラム缶を警戒していたゴンタも、ぼんやりする日もあるのか、ふんふんと無警戒にドラム缶に入ってしまい、バタン。あえなく捕まる日もあるという。あの知恵はいずこへ・・・?

つづいて、メスの”しょうこ”。センサーカメラの前で、心地よさそうにゴロンと横になり、仰向けになって脚を倒木に乗せグーグー寝はじめたという。頭の上には撮影用の蜂蜜をぶら下げていたのに、一向気づく様子もなく。そのおっさんのような寝姿をみなで笑いあったという。飄々として図太くて、生きのこる者たちは違うなあと、妙に納得させられる。残り10数頭と聞くと悲壮感に満ちた痛ましい姿を想像してしまうけれど、クマたち、どっこい生きている。微笑ましくて、でもやっぱり申し訳ない気持ちがつのる。

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昨年、四国でクマについての市民意識調査がなされた。半数は四国にクマがいることを知らず、8割の人はツキノワグマに「怖い」というイメージがあると回答、そして半数以上がツキノワの体重を150200キロと思っているそうだ(実際は50キロ程の成獣も少なくない)。さらにアンケートの中には、「クマがいることどんな意味があるの?」「私たちには何の関係もない存在」というコメントもあったという(日本自然保護協会調査、高知・徳島在住者500人アンケート。多くは市街地住民)

でかくて、恐くて、危ないというネガティブなイメージが先行するクマだが、実際は人里近くに現れても人間から隠れ隠れひっそり生きている。出会ったことがないゆえに、イメージがひとり歩きしていたり、自分にとっての「メリット」で他者を眼差したり、「生きる意味」を勝手に求めたり。ここからは、相模原障害者殺傷事件の被告によって語られている「いのちの価値」の一方的な決めつけを連想しないだろうか。そして障害のある人への、知らないがゆえに持ってしまう世間の勝手なイメージとも似ていないだろうか。いのちに意味を求めたがるのは何故だろう。存在それ自体が答えだと僕は思うのだけど(50万年前からこの列島に住んできたクマに、4万年前にやってきた人間が「いのちの意味」を問うことが、どだい僭越じゃないか)。見えないものへの想像力をどうかきたてようか。地球温暖化も、ふだん目の前に現れることのない、クマへも。

 

「終末的世相の中で」「近代化のさらに彼方を見つめる」と中村哲さんは書いた。「自然を人格と捉えるべきだと思っています。ですから和解という言葉を使っているのです」と、「人と自然の和解が必要だ」と語りのこした(ペシャワール会報・No.1422019124日)。

絶望しそうになる世界にあって、それでも人は変れるしもっとやさしくなれると信じたい。人間のためのみにある星じゃない。ありとあるいのち、すべての存在によって世界はつくられている。豊かな世界を育て、建て直し、後世へとつなげたい。映画を通して、社会運動を通して。

 

野花焼不尽 春風吹又生 (やかはやきつくさず しゅんぷうふいてまたしょうず)

漱石が好んだという句を心にとめて、まもなく春がくる。

「知ることからはじめよう~気候危機にいま私たちができること」(2/24)

この冬の宮城の雪の少なさに、地球温暖化が進んできていることを肌で実感しています。今朝の河北新報朝刊は、1月の東北地方の降雪量が平年比15%、平均気温は平年より2.3℃高かったと報じています。気象庁によると降雪量の平年比は北日本(北海道、東北)で34%、東日本(関東甲信、北陸、東海)で15%、西日本(近畿、中国、四国、九州)で0%でいずれも最少とのこと。
気温がこのまま上がり続けた時のシナリオには、かなり怖ろしい未来が想定されてます。「こんな世界を同時代人や後世の人、他の生きものたちに押し付けたくはない」と思いたち、温暖化対策についての講演会を友人と企画しました。

お話いただくのは長年、地球温暖化対策に力を尽くしてこられた「NPO法人気候ネットワーク」東京事務所長の桃井貴子さんです。いま世界で何が起きているのか、そして私たちに何ができるのか、わかりやすくお話いただきます。
日ごろのぼんやりとした不安や疑問について知り、いまできることをそれぞれの人が考えられる場にできたらと思います。
ご参加希望の方は下部にある「お申込フォーム」もしくは僕へご連絡下さい。

〇日時
2月24日(祝・月)13:30~16:00(13時開場)
13:30 開会
13:30~14:50 第1部 桃井貴子さん 講演
  「気候危機の現状と求められる取組み」
   ※ 講演後に質疑応答の時間があります
14;50~15;00  休憩
15:00~16:00 第2部 参加者からの活動事例紹介
16:00  閉会

〇場所 北沢タウンホール・スカイサロン(12階)
    最寄(下北沢駅徒歩5分)
〇定員:60名
〇資料代:500円(学生・高校生以下、障害者手帳をお持ちの方と介助者は無料)
〇主催:Greens Action Now!
◯後援:世田谷区
〇情報保障:第1部、第2部ともにUDトークを用意します。スマホタブレット等をお持ちいただくと、手元で話者の音声を文字で確認することができます。
〇お問合せ:
メール  greens.action.now@gmail.com
〇お申込フォーム
https://docs.google.com/…/1FAIpQLSfJICYisyIQx44SBk…/viewform

 

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火事だ、火事を消そう

雪国に暮していて、この「雪なき冬」ではっきり目が覚めました。
1階のボヤがすでに火災になっている時に、2階で宴会を楽しんでることはできません。2階(すなわちこれまでの日常)に暮らしている人に、「火事だ!」と叫んでまわること、そしてみなで火を消すこと。これが今、絶対に必要なこと。

日本が温暖化(すなわち火事)に油を注ぐようなことをしているのを、是が非でも止めねばならない。私たちの世代で、人類を、生きものの未来を滅ぼしてはならない。
全力を尽くす。

なぜ石炭は「叩かれる」のか?〜小泉環境大臣も指摘する世界と日本のギャップ〜 | 気候ネットワーク・ブログ

魂の日

ときはなたれる日 また逢うだろう

ときほどかれる日 自由をえるだろう

雲にながれ 水にふかれ 風にうつりてどこまでも 

どこまでも昇っていくだろう

光さす方へ心を向けて 先ゆくものたちをおいかけていくだろう

それから ようやく光になるだろう

すべて夢であったと 夢へとまたかえっていくだろう

その日へと尽していこう

青葉繁れる街に

今朝の河北新報一面に嬉しいニュース。
「仙台駅西口 車道を緑地に」「青葉通 一部広場化」の見出し。
仙台市がJR仙台駅前の車道を緑地化し、屋外広場を整備する方向で検討しているとのこと。「杜の都」と言われる仙台だが、この街の人がそれほど杜を大事にしてきているとは思えない。映画「青葉繁れる」(1974年/87分/岡本喜八監督)の中に印象的なシーンがある。
主人公の仙台一校生が、東京の日比谷高校から転校してきた学生に仙台のお国自慢をしようと、「ここには杜の都という別名があって、どこにも緑が・・・」と言いかけると、「ないじゃないか」とすかさず返される。

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ただでさえ少ない杜を、地下鉄を通すため、車道を増やすためと切り倒してきたのが杜の都の実際だった(だいたい杜を大事にする市民なら木に電灯を巻きつけて客寄せをしようという発想にいたらないのじゃないかと、僕は思う。木が不憫でならない)。

 

夏の猛暑を和らげるためにも、都市のアスファルトを緑地化していくことは理にかなった施策だ。そして本当の杜の都にしていくべく、駅前には「緑地」という響きから目に浮かぶ芝生のような弱弱しいものでなく、鬱蒼とした森にしてしまいたい。
青葉繁れる街にしたい。

 
 
 

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※ 車道中央の木々が切り倒された 

2本の映画

公開中の2本の映画にコメントを書かせて頂きました。
「東京干潟」(村上浩康監督)と「アリ地獄天国」(土屋トカチ監督)という作品です。村上さんは同郷の先輩、土屋さんは学生時代から映画を教えて下さった先輩です。こういうと先輩に対して追従コメントを書くのだと思われるかもしれませんがそんなことは出来ませんし、しません。

「東京干潟」、ふるえました。映画に出てくるおじいさんが僕自身と重なりました。併せてつくられた「蟹の惑星」には、干潟の生きもの蟹を友とし、同じ地平に並んで呼吸している村上さんの姿勢があふれ出ていて、感銘しました。
「アリ地獄天国」、しびれました。僕は土屋監督の前作「フツーの仕事がしたい」に多大な影響を受けある労働組合の専従職を求めたことがあります(働いた経験も無いのに専従職は無理でしょ、と結果は不採用でした)。土屋さんの激しさと繊細さが同居している人間性と、映像への真摯な姿勢に僕は学生時代から範を仰ぐ思いでいました。今作のエンドロール、「企画」に土屋さんの名前と亡き親友「山ちゃん」さんの名前が流れてくるのに気づき、ふたりが幽明境を異にしながらもスクラムを組んで製作してきた日々を垣間見る思いがしました。
稚拙なコメントですが、多くの方に観ていただきたい映画なのでご紹介します。

 

「東京干潟」(村上浩康監督)
https://higata.tokyo/

ひとりのおじいさんが多摩川へ歩きだす。干潟に膝をつきしゃがみ込む。素手を泥へと潜らせ、かき出す。祈るような両手の指の合間にしじみを探す。しじみは日銭になり、めしにかわり、レモンサワーとなり、身を寄せ合う猫たちのエサになる。かつて古老がいた。思い上がりや思慮の浅はかさを戒め、たしなめた。智慧を授け畏れることを教えた。みずからの足元を掘り崩してはならないと。コンクリートビルが立ち、ジェット機が飛び交い、トラックが無数に走る都会の海に、85歳のおじいさんが川と泥へ、きょうもひとりその身を浸す。
コンクリートが川を埋め、しじみが取れない。買い叩かれる。台風がくる。水が小屋までひた迫り満潮と重なった。どうする、どうすればいい。
住処を「土砂」とされ、重機で根こそぎ掘り返される泥から貝の声が聞こえてくる。朝の陽に波立つ川へ、おじいさんは身を浸す。河川敷の小屋で人間に捨てられた猫たちが、きょうもおじいさんの帰りを待っている。「みんなおんなじように生きる権利あるんだよ」。おじいさんの声よ、届け。ひとの心、動かせ。つめたい水に身を浸した、ぬくもりの言葉、この世界に届け。どこまでも届け。

 

※上映予定
ポレポレ東中野(東京)アンコール上映
12月21日(土)~28日(土)
連日
19:00~「東京干潟」
21:00~「蟹の惑星」


「アリ地獄天国」(土屋トカチ監督)
https://www.ari2591059.com/

疲れはてた身体。蓋をした感情。行くしかない。生きるため、仕事に行くしかない。陰惨な職場。殴られる脅される、いじめ抜かれる。でも行くしかない。
息をひそめて生き抜こうとした。でもやっぱり、おかしいだろう。
そうだおかしい。隣を歩いてくれる仲間ができた。声を張る、からだを張る、一歩も引かない仲間たち。頼もしい仲間。そうだ、きょうからもうひとりじゃない。土屋監督も肩を組む。先に逝った仲間も肩を組む。ひとりではたたかえない、だから肩を組む。
仲間がいる。ここにいる。
あなたももうひとりじゃない。きょうからもうひとりじゃない。

 

※上映予定
名古屋シネマスコーレ(愛知)全国最初のロードショー
12月28日(土)12:30~