「熊と人 四国の森に生きる」あすオンライン配信です

子どもの頃から野生動物が好きでした。動物のためにじぶんに何ができるだろうと考えてました。高2で獣医を目指すも、物理は平均点以下、数学は赤点で叶いそうになく、ならば文転して野生動物の生息域を守る政治家になろうと志したのですが、大学で政治の世界のあれこれが自分にはついていけぬと、諦めました。
初志から25年。野生動物のためにできることがひとつ見つかりました。映像をつくることです。
昨年から今年にかけて、徳島高知に取材へ出かけました。近年、北海道と本州では人里への「出没」が話題になる熊が、四国では絶滅危惧種になっています。四国全域で20頭ほどしか生息してなく、四国山地東部の剣山系にしか生存していない。九州では、すでに絶滅している熊です。
人間が殺し、人間が助ける。動物をめぐって常につきまとう構図がここにもあります。自己矛盾が突きつけられ、まったく賢治が書いた『よだかの星』のよだかと似た気分になる日々です。よだかは自己矛盾の先を突き抜けて空の星になり、『なめとこ山の熊』の猟師は、熊にイヨマンテされる。それが本当だと思う。ここまでひどいことをしておいて、救うも助けるもあったもんじゃないだろう。でも。それでも、そんな人間だって、時々いいとこあるんだぜ、という気持ちはにじむ。いいないいな、人間っていいな。見ていたのはクマの子でした。
宮沢賢治を生み育てた岩手で熊とひとのことを考えようと、昨年夏に盛岡へ越しました。土地に徳がある、と思います。街にいても森閑として、静々として。たとえばこうなのです。先月27日は99年前、賢治の妹トシさんが死んだ日で『永訣の朝』でその別れが詠まれます。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」のこの日はみぞれがびちゃびちゃ降ってきた、というその岩手盛岡で、99年後の11月27日に雪が降ってくるのです。そこに土地の徳を感じます。

 

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盛岡夕顔瀬から

四国で絶滅に瀕している熊を守ろうと、あくせく動き回っている人と熊の話をまとめました。30分の映像です。こたえの出ないことも迷いもそのままに、ただ、四国の熊を絶滅させてはならない気持ちでつくりました。
あさっての12日、13時からオンラインで上映です。

www.nacsj.or.jp

 

野枝さん、しかしなおこの国は、この通りだ

ついさきごろ、福岡市の今宿を訪ねた。「炎の女」と評され、関東大震災のどさくさに官憲に殺められた伊藤野枝が生まれ育った地。今津湾に面して、波音が寄せる。路地を歩けば「伊藤」姓の表札をところどころに見かける。野枝さんの呼吸をいまに感じとるようで、胸がさわぐ。
(野枝さん、しかしなおこの国は、この通りだ)
生涯、野枝さんがたたかった体制の中心に鎮座する九重の、御簾のうちにお育ちの若い方が、ご自身の意思を貫かれる姿にまばゆい感銘と共感をおぼえる。
でもその若い方はこの国では生きることは叶わぬと(すなわちこのままでは殺されてしまうと)、国を離れるという。意思を持つ人間をすべからく圧殺していくこの国と、それを加速させる少数者。知らぬ顔で加担する多数者。
(野枝さん、しかしなおこの国は、この通りだ)
満身に怒り憎しみが湧きたつのをむりやり吞み込んで、今宿の海鳴りを聴く。
日本国憲法第二十四条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」する。
劣勢だとか、広がりを欠くとか、伸び悩んでいるとか。独自のたたかいをしているなどと微妙な言い回しで表現されるもの。そういうものたちの背中を押して、一緒に歩いていきたい。
(野枝さん、しかしなおこの国は、この通りだ)

 

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署名はじまる

津久井やまゆり園の正門前に立つと川をはさんで正面の森にレジャー施設がみえる。観覧車がありアトラクションがある。6日に園を訪ねると建替工事は佳境をむかえ、まもなく完成という段になっていた。アトラクションが動きだすと歓声が山あいに届いた。動いているのを初めてみた。

園の目と鼻のさきにある食事処に入ると、ちいさな店内に客と店員の会話が聞こえる。やまゆり園の工事作業員は大盛りを注文してくれるとか、ここらも子どもが少なくなっていまでは小学生が5人しかいないとか。

店をでてまた園の方へとむかうと、遠くサイレンの音が響いてくる。しばらくすると相模湖駅方面へ走り抜けていく1台の救急車。疾走する車体を眺めやりながら、七月の夜の情景がむやみに想起される。いたはずもない夜の救急車。

死者の語りを聴きたいと思う。一方で、聞く準備がひとつもできていないとも思う。腹に力をこめて受けとる、覚悟のようなもの。どこにある。

『なぜならそれは言葉にできるから』(カロリン・エムケ、みすず書房)という本を見つけて読む。「言語に絶するものは、囁き声で広まっていく」。「被害者から主体性と言葉とを奪うことは、犯罪国家の意図のひとつだ。被害者を没個性化し、孤立させ、最終的には非人間化することーすべてが、権利剥奪と暴力のメカニズムの一部である」。

ページを繰るごとに線をいくつも引いていく。どこが大事かわからなくなる引き方。
沈黙する被害者や犠牲者の沈黙をどう考え、向きあい、言葉の出るのを待つかが書かれている。沈黙を利用し、物語を隠蔽し改竄し捏造する者たちのことが書かれている。そして檄を飛ばされる。言葉をうしなったようにみえていても語りがはじまるときはある。問われているのは聞く人がそれを聞けるかだ、と。

津久井やまゆり園におけるパラリンピック採火に反対する署名がはじまった。文面に思うことは多々あるけれど署名する。

 

www.change.org


事件からあと、語るべきひとがいまだに語っていないと思いつづけている。

聞くひとがいないのか。聞けるひとはどこにいる。

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あなたに

先々月、日本障害者協議会(JD)さんが毎月発行されている「すべての人の社会」(2月号/No.488)に拙稿を掲載いただきました。連載「優生思想に立ち向かう やまゆり園事件を問う」シリーズです。わたしの気持ちは事件以来、ずっとこのあたりをうろうろしています。ですから「風化を防ぐ」などと題目を掲げて、園でオリパラ行事をするという感覚に心底愕然としました。それができてしまう感覚にこそ、隠しようのない「風化」があると感じます。JDさんに承諾を得ましたので拙稿をここに再掲します。

 

                 あなたに

(手紙に託して)

あなたをどうお呼びしたらいいのでしょう。困っているのです。お名前を知らないのです。男性でお年は41歳。それなら僕より年上ですし、何よりお会いしたことがないのですから「君」ではなく、「あなた」とお呼びするのが相応しいでしょうか。裁判の報道ではあなたが「甲Kさん」と呼ばれていたことも知りましたが、まさか、まさかです。お名前を知らないことがこんなにも不自由だなんて、呼びかける段になって戸惑います。

あの日のあとから、犯人は世間を相手に言いたい放題をしていました。それは読むにも聞くにも耐えがたいものでした。抗議する人たちは世間を相手に「そうじゃない」と言葉を尽くし、その抗議はたいていもっともだと思いながらも、どうしても僕はあの日のことに触れられずにきました。あまりにひどいことでしたから、ずっと避けてきたのかもしれません。それに、あの日のことが語られる時、たとえば亡くなられた方19名へまとめて語りかけられるような時は、違和感が拭えませんでした。かけがえがないというならば、その語りかけはひとりに向けてなされるものです。大勢のうちのひとり、と見なしているうちは、そこにあなたの輪郭も表情も浮かんでこないのです。それでは誰ひとりにもたどり着けないと思いあたって立ち止まったら、それからいまだに立ち尽くしているのです。グズですよね。

それより何よりも、僕はこう思っていました。あなたがまだ話していない、と。あなたの声が聴きたくて、あなたが語りはじめるのを待つような姿勢で、僕は立ち尽くしていました。こうしてあなたに手紙を書いてみることで、あの日のことを語る言葉を探してみます。ひとりのあなたに、自己紹介からはじめさせてください。

僕はふだん、ドキュメンタリー映画をつくっています。障害のある人の暮らしや人生を描いてきました。事件から2年後の秋、夜のNHKニュースでお母さまの手記が流れました。裁判員裁判で「甲K」さんと呼ばれたあなたを初めて知った日です。そこにあなたの似顔絵が放送された時、思わず僕は僕がつくっていた映画「道草」の登場人物にあまりに似ていて、「〇〇じゃん」と彼の名をつぶやきました。似てるということをきっかけにあなたを思いはじめるなんて、想像力は限られていますね。手記を読み、僕はあなたがたしかにそこにいたのだと、その体温を肌で感じた気がしました。探していた人をようやく見つけたような気分にもなりました。そういえばあなたは小学生の頃、急にいなくなってお母さまにとある駐車場で見つけてもらったこともあったそうですね。猫と犬が大好きだったとも知りました。あなたのように犬と一緒になって犬小屋に入ったという経験はありませんが、うちにも大好きな犬と猫がいました。あなたが好んだというドラゴンボール、ああ同世代だと感じました。小学生時分、夕方5時頃テレビで放送していたドラゴンボールが楽しみで、学校が終わると近くの駄菓子屋でお菓子を買いこんでは走って家に帰ったものでした。あなたが家族を笑わせていたというかめはめ波のマネって、誰しも一度はやりましたよね。手記からは、あなたとご家族の日常がいきいきと浮かんできて、まるでその場に居合わせていたような気持ちで「そうそう、そんなことあったっけ」と心でうなずきました。そこに僕はいるはずもなかったのですけれど。

あなたに尋ねてみたいことがいくつもあります。仲良しはいますか?腹が立つのはどんな時ですか?一緒に出かけるなら、どこへ行きましょうか?やっぱり僕はこんなにも、あなたを知りません。知らないことを思い知らされる度に、いまさら間に合わないという気持ちが頭をもたげます。でも、いまからでもはじまることはできる、という気持ちもどこかでずっと持ちつづけているのです。夢みたいなことでしょうか。あなたはたしかにいたし、いるのです。そうでなければあなたに呼びかけるなんて、僕は考えることもできないはずですから。

(言葉を待ちたい)

映画「道草」に、あの日のことに触れた場面がありました。触れるつもりはなかったのです。ムリだと思っていました。でも、あの日被害にあわれた方のひとりのかずやさん*と出会って、何度か会ううちにある日かずやさんが飴を僕にくれたのです。その瞬間のやり取りがあまりにうれしくて、「だれだ“意思疎通ができない”なんて言ったのは」と、みんなに自慢したくて、そんな気持ちをこめた場面だったのです。あなたを「自立させたかった」とお母さまの手記にはありました。どんな自立の姿を夢見ておられたのか、いつか話を聴けるでしょうか。かずやさんは昨年、施設を出て支援者付きのひとり暮らしをはじめました。これからどんな毎日をおくるのか、目が離せません。

お母さまの手記にはこうもありました。“意見を発表するつもりは全くなくそっとしておいてほしかった。亡くなったことを否定したいのに、周りから何か言われれば亡くなったことを押し付けられているみたいで余計落ち込んでしまうから”と。あなたがいなくなってしまったあとも、昨日と変わることなくつづいているようにみえるこの世界は恐ろしい。でも、一方ではお母さまに「この頃姿を見ませんね」とあなたのことを尋ねて声をかける方がいたそうです。お花を持ってこられた方もいたそうです。
お母さまに「押し付けられている」と思わせてしまったことに、僕たちは気づいていたでしょうか。押し付ける言動が僕になかったでしょうか。何度も弁護士に「やっぱりやめておきます」と言いかけたお母さまとおなじ気持ちで、やっぱり話すのをやめにした人、思いも言葉も沈められたままでいる人のことを想像します。あなたのお母さまを沈黙させ、あなたの声を奪っているのは、いったい誰でしょうか。

映画を通して、あなたに「似ている人」と出会い、似ていることからしか想像を拡げられない貧しさを抱えながらも、「似ている人」とすら出会っていない人に、どうあなたのことを伝えていけるものでしょう。ちょっと途方に暮れそうです。僕が暮らす街は雪深くて冷え込むのですが、こんど晴れ間が出たら街へ出かけてみます。もしもあなたに似た人をみかけたら、そばに寄って耳をそばだてて、ああ、こんなとこにいたんですねって、僕はあなたに気づけるでしょうか。そしていつか、「あなた」ではなく、映画をとおして出会った人たちを名で呼ぶように、〇〇さんと呼べる日はくるでしょうか。
ここまで書いてみて、僕はやっぱり、あなたがまだ話していない、という気持ちを深くします。あなたの言葉を待ちつづけたい。あなたが語りはじめるのを、僕はここで待っています。

*かずやさんは、2016年7月26日に起こったやまゆり園事件で重傷を負いながらも一命をとりとめた尾野一矢さんです。


出典:「すべての人の社会」2021年2月号 日本障害者協議会

 

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県・市の回答(採火について)

津久井やまゆり園でパラリンピックの採火を行うという件につき、先日協議主体であった、神奈川県、相模原市、かながわ共同会にメールで再考を希望する旨伝え、相模原市には電話でもお伝えしました。しかし一昨日、県と市からは「着実に準備を進める」という回答が届きました。県も市も、オリンピック・パラリンピック推進課からの回答でしたのでこの件はオリパラ課主導で進められてることが確認できました。

映画をつくるとき、いつも届かないところへ届けたいと思い、考えの異なるひとならどう考えるかを想像します。今回のことでも「どっちでもいい」「パラリンピックで注目されることが大事」「些末な話」という意見が聞こえてきそうです。そのひとつひとつに、こころの中で僕は反論します。それはどっちでもいいことでなく、注目されればいいことでなく、些末な話でないと応えます。

胸に湧きでた濃い霧のようなもやもやした不快感は、時がすぎれば消え去ることもあるかもしれません。でもそのもやもやを言葉にして輪郭を与えていけば、自分が何を大切にしたいのかそれは何故なのかがおのずと見えてくるように思います。県と市に、回答書の公開の可否について確認中です。

 

朝日新聞の記者さんから火曜日に電話取材をうけ、お話しました。

やまゆり園で聖火「当事者の声聞かず悼む場を利用か」:朝日新聞デジタル

3/29には神戸の自立生活センター・リングリングさんが抗議声明を発表されています。また、本日の朝日新聞・声欄にも再考を求める神奈川県民の意見が掲載されています。神奈川県や相模原市在住の方からより多くの声が県、市に届けられることを願います。