喉もと過ぎていかぬもの

拝啓
先月の29日、30日の二日間、東京在の友人4人とともにファーム・アルカディアへお手伝い兼撮影に行ってきました。普段はデスクワークの仕事が多い友人たちもこの日は青天白日の下、筋肉を仕事道具に、ごみの片付けや飼料の運び出しなどに精を出しました。

   



※左:Tokyo労働者四人衆  
 右:孫を見守るような根本ボスの優しい背中








この日は根本さんから、アルカディアへ向かう途中にある福島第二原発付近の沿岸部も少し案内していただきました。初めて見るそこは、いまもなお2011年3月11日の風景のまま、残されていました。津波に押し流されひしゃげた車、荒れ果てた田んぼの中にぽつんと残る1階が消え2階部分だけの家、横倒しになった消防車。こんな風に手付かずのまま3・11が記憶された土地は、いまこの日本にはここ「警戒区域内」だけしかないことを改めて感じます。

それでも、家の骨組みだった木材や流失物がところどころに集められているところがあり、片付けようとはしたのだろうかと不思議に思い根本さんに伺ってみると、「あれは遺体捜索の時にガレキを除けてまとめたんだねえ」との返答が返ってきました。

     

※3・11がそのままに残る












この辺りの集落でも、亡くなった方やいまも行方不明の方がいらっしゃるそうです。津波に襲われた東日本の沿岸部は、程度の差こそあれ少しずつ人の手が入り、また新しい時計の針を進めようとしている時に、警戒区域に指定された、原発から半径20キロ、直径40キロに及ぶ沿岸の土地だけは、時間が止まっているように見えます。その止まっている時間は大自然の力で止まったのではなく、人間によって「止められた」のだということを、その止めた張本人たちが、止めたことに対して頬っかむりを決め込みながらいまも時間は止まりつづけている現実について、僕たちは考えに考え、考えぬく必要があるのだと思います。

ここ、警戒区域沿岸部の時間を止めつづけている人間が、決してこの地に立つことなくこの情景を見ることなく、喉もと過ぎて熱さを忘れた顔つきで「電力の必要性」などと、安全地帯から利いた風な口をきくその口と、たたかっていかなければならない。そしてそのたたかいを可能にする言葉は、時間が止まりつづけているこの40キロの沿岸の土地のような場所に生えてきた、根をもつ言葉によってこそ、可能になるのだと思います。
                                                  敬具

平成壬辰 皐月四日
宍戸 大裕