その手記に

11月25日、NHKニュース7で報道がされた。
「障害者殺傷事件の遺族 葛藤の末に初めての手記」。夕食の時間だったが目が釘付けになり箸が止まった。しばらくして次のニュースへ移っても気持ちが揺すられていた。夕飯のつづきに手をつけながら、揺すられた気持ちは静まらず消えていかなかった。NHKのニュースサイトで手記の全文を読み、揺れはずっと大きくなった。

そのニュースサイトの導入部には、こうあった。
「19人が殺害された障害者殺傷事件で、犠牲となった41歳の男性の家族が、事件から2年余りたって初めて手記を寄せてくれました。語るべきか迷いながらも、障害者を否定する被告のことばに賛同する人がいることを知り、声を上げなければと一歩を踏み出した思いがつづられています。」

読み進めた。
それは、それ以上だった。「それ」など、まして「以上」など言ってはならない。言うことは出来ない。だがその手記は、そのニュースの導入部や結論部やが引いてくる遺族の方の言葉、ニュースとしてくくられる、くくりやすいメッセージをはるかに超えて私に届いた。
「葛藤の末に一歩を踏み出した思い」とし、「強い問いかけ」と書くニュース原稿。それは間違いではない。正確ですらあるだろう。だが、それはニュースだった。間違いではない。だが、ニュースを超えていない。しかし、手記をすべて読ませてもらって私に押し寄せてきた感情は、もっと別の存在感だった。いまそこにあなたがいる。あなたは確かにそこにいたということ。そこに、あなたがいる。

手記は、こう書いていた。意見を発表するつもりは全くなかった、と。そっとしておいてほしかった、と。亡くなったということを否定したいのに、周りから何か言われれば、亡くなったということを押し付けられているみたいで、余計落ち込んでしまうからです、と。そして、今でもその気持ちに変わりはありません、と。さらに、こう続ける。
・・・でも、犯人が言っていることに賛同している人たちがいるということを聞き、ショックを受けました。
「もしそういう人たちが犯人のほかにも出てきたら怖い」、「障害者がつらい立場に置かれる」と、居ても立っても居られなくなりました。

ニュースは、ご遺族の居ても立っても居られなくなったことをかっこにくくってくる。それをニュースとして伝えてくる。それは間違いでない。間違いではないのだが、そこで私は思う。すこし違うのではないか、と。かっこをくくる場所が、私には違うと思われる。そこにかっこをくくることが私には出来ない。その前の段落がある、と私が思う。そして、それこそが大事だと思えて仕方がない。

意見を発表するつもりが無かった時の居ても立ってもいられなさはなかったか。そっとしておいてほしかった時の居ても立ってもいられなさはどこへ行くのか。亡くなったことを否定したいのに、回りから何かを言われれば、亡くなったことを押し付けられているみたいで、余計落ち込んでしまう時の、その居ても立ってもいられなさを、私たちは知っているか。

押し付けられている、と感じさせていた言動が私になかったか。押し付けていた言動が私にあったのではないか。何を押し付けていたかも知らずがままに、頭ごなしに押し付けているものがなかったか。それはあった。私は道徳の押しつけを憎む。道徳の押しつけらるるを憎む。道徳をふりかざし、有無をいわさず下げ渡してくる者の傲慢な不道徳を憎む。無自覚の正義が、生身の人間を押し黙らせることに勤しんでいなかったか。
乱暴狼藉、無類の没義道は悪党からのみ出てくるものでない。善人面の道徳振りかざしが働く乱暴狼藉、没義道がある。頭ごなし、問答無用、道徳の尻馬に乗って心おきなく人間をおっぷせていく道徳ゴロ。この手の道徳ゴロまがいが、私になかったか。あなたになかったか。
「愛と正義を否定する」と脳性まひ者集団青い芝の会は金言を生んだ。正義振りかざしの人間ひれ伏させが、この事件を通してなかったかあったか。それはあった。いまもある。

被害者の男性に私は私を見た。私は私の知人を見た。そして、男性と家族の日常が目の前にいきいきと浮かんでくるのを見た。その場に居合わせていたような気持ちで「そうそう、そんなことあったっけ」と思いなしていた。居るはずもない私が、そこに居合わせた。

手記には、こうもあった。
何度も弁護士さんに連絡をして、「やっぱりやめておきます」と言いかけました。

ここまで読んで思いなすのは、やっぱりやめにしておいたであろう人たち、おもてにはまだ現れてきていない人たちのことだった。やっぱりやめておきますと、話すのをやめにした人。話すのをやめさせてしまったあなたと私。筆を置いた人、筆を置かせたあなたと私。
声を奪ったのは、誰なのか。
この頃姿を見ませんねと声をかける隣人、お花を持っていく隣人はこの世界にひとりではないはずだ。私は声を奪うままでいいのか。あなたはどんな声をかけるのか。